烏山頭ダムの有効貯水量は、1億5000万立方メートル。
(これに濁水渓の水も加えた)豊富な水が、網の目のように張り巡らされた給排水路を伝って農地に注ぐ。総延長1万6000キロは地球を半周する長さだ。八田はこの大事業を、大型機械を輸入した以外はすべて国産の技術で成し遂げた。
嘉南大圳の完成によって、それまでわずかな畑地と天水田しかなかった嘉南平野は一転、肥沃な農地に生まれ変わった。
注目されるのは、ここで営まれた「3年輪作農業」である。
サトウキビ・水稲・畑作物を1年おきに輪作するこの農法は、区ごとに作付けをずらす周到な配水計画が必要とした。1世紀が過ぎた今も継承されているというから、その完成度の高さは驚嘆のほかない。
台湾の食糧難を救ったと言って過言でない日本の偉人が、教科書に載ることはない。
そして八田與一の技術と精神をはぐくんだのが、奈良時代の行基や和気清麻呂に始まる、河川技術の基礎をつくった先人たちである。
空海、武田信玄、豊臣秀吉、加藤清正、そして江戸時代を迎え、今日の治水の礎が築かれていく。
日本が世界に類のない水資源国になったのは、自然に恵まれていたばかりが理由ではない。
氾濫を繰り返し、民と家屋、田畑までを飲み込んでいく自然の脅威と折り合いをつけ、長い時間をかけこれをコントロールしてきた先人の業績ゆえである。
このかけがえのない財産を存外に扱い、蛇口をひねれば水が出るのは当然と思う傲岸不遜を改めない限り、未来に禍根を残すことになりはしないか。
水は命の源であり、その源を豊かに育んできたのは、現代を生きる我々ではないのだ。
イラスト hanami🛸|ω・)و