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「枠」の中を 自由に生きる

小津安二郎の映画には「枠」がある。物語も演者も彼らのセリフも、カメラや照明、セットの隅々に至るまで、すべては「枠」の中に始まり、終わる。そして映画と現在が、常にシンクロしてもいる。

それが黒澤明の代表作になると、侍が刀を差した時代に誰もが「枠」からはみ出そうと、極めて動的に立ち回る。その作品は内的・外的にも、今の自分という存在を超えるため、一心不乱に突き進む人たちの記録である。

黒澤明監督を生前に高く評価したのは、日本よりも米国の映画界だった。
フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグ、マーティン・スコセッシ。
ハリウッドを代表する映画監督である彼らは、「kurosawa's son(黒澤の子供達)」とまで呼ばれるようになった。

エンターテインメントとして、確立した個を描く卓越した能力において、全盛期のクロサワは映画界の頂点にいるといって過言ではないだろう。

その完成度をベートーヴェンの交響曲に例えるなら、『用心棒』を第5番に、『椿三十郎』を第6番に当てはめてみたい。
素浪人は一人、いずこよりかやってきて、事が済めば独り、いずこへとなく去っていく。
この男、誰とも群れず誰にもびず、己の技量と知力の限りを尽くし、自らの生を全うしようとする。
カウボーイ文化のアメリカ人が、惚れこむ理由わけである。

黒澤が描く「非凡」に対し、小津映画は徹頭徹尾てっとうてつび「平凡」に終始する。
遺作『秋刀魚さんまの味』の父と娘は、互いを気遣きづかい、互いを頼りにしながら生きている。それはそのまま、彼らの生活を構成する会社や友人、料亭・バーに至るまで通用する世界観だ。
秋刀魚さんまの味』に於いてひとは一人で生きられず、家族や組織、国家の枠組みの中でひたすら生を全うする者になる。
その「枠」の存在に疑問を抱き、反逆しようなどとは露ほども考えない。

平凡極まりないはずの「枠」の描写に関わらず、全編にあふれるこの圧倒的な美しさは何だろう。
それは「枠」の中で平凡に暮らそうと、個人それぞれが自らを精一杯生きている様が、観る側に伝わるからなのか。あるいは日本人の遺伝子と共鳴するものが、あるからなのかもしれない。

戦後の小津映画に共通しているのは、美しい日本の「枠」組みが戦後民主主義の潮流の中に消えていく、最後の灯火ともしびをとらえている点だ。
1951年『麦秋ばくしゅう』の最後で、娘を嫁にやり田舎に引きこもった老夫婦の会話の中に、小津監督万感ばんかんの思いが込められている。

夫「みんな離れ離れになっちゃったけれど、しかしまぁ、私たちはいい方だよ」
妻「えぇ、いろんなことがあって… 長い間… 」
夫「うん… 」「欲を言えば、キリがない」
妻「えぇ… でも本当に幸せでしたわ」
夫「うん」

家族という最小限の集合体がばらばらになっていく様を、映画史に比類なきこの監督は1951年(昭和26年)の段階で、すべて描き切ってしまっていた。

3日前、【「ライフデザイン」「出会い」政府が“婚活支援”へ 19日に検討会立ち上げ 結婚、出産など若者らにヒアリング」】という記事を取り上げ、集合体が完全に分解されてしまった国家の現在いまを嘆いた。
70年も前に一つの映画が描いた家族の分断は、「自由」「平等」「権利」の美名のもと、(意図したものであれば)みごと達成されているかのようだ。
今後はこれに加えて、LGBTQやら他民族共生とやらの、更なる人間の細分化が浸透中である。

秋刀魚さんまの味』に限りない美を見出し、今の日本の在り様を醜悪と感じる僕の感性は、「型落ち」であるのか。
「型落ち」であっても、構わない。不変の美は、昭和の時代の中にまだかろうじて存在していた。その残滓ざんしを理解する以上は、いま改めての「枠」の中に生きるとうとさを、令和の世代にも伝えていきたい。
たとえ余計なお世話と、そしられようともだ。

「自由」や「権利」を欲するならば、黒澤映画にあるようにアクティブに動き、闘い、勝ち取るべきだ。その姿もまた美しく、日本の未来に活力が生まれるだろう。
間違っても、与えられた「自由」と「権利」にだけはくみしないことだ。それは為政者にとって都合のいい、まがい物に過ぎないからだ。

女性の「権利」や「平等」から「女性の社会進出」が確立していくに従い、なぜ貧困や自殺、孤独死が増えていくのか。
まだ徹底されていないからなのか、根本的な誤りからなのか。

黒澤明や小津安二郎の非凡な才能が、とことん人間を見つめ突き詰めた末に表現したテキストから、日本人の在り方・生き方を、いま一度見直してみるべきじゃなかろうか。

イラスト Atelier hanami@はなのす

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