卒業できない人たち
荒井由実(のちの松任谷由実)の楽曲『卒業写真』は、もともとは彼女がハイ・ファイ・セットに提供した曲だ。
彼らのデビュー・シングルとして、1975年2月5日にファーストアルバム『卒業写真』と同時に発売されている。
美しいメロディやアレンジもさることながら、心に染みこんでくる歌詞の素晴らしさは、同時代の歌にあっても群を抜いている。
透明感がありながら実に味わい深く、優しく耳にフィットする山本潤子の歌声は、時代や世代を越えて今も色褪せないままだ。
あの頃の生き方を あなたは忘れないで
あなたは私の 青春そのもの
人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くでしかって
あなたは私の 青春そのもの
この歌詞には、実は”原典”がある。
60年安保の時代を生きた学生たちの群像劇で、柴田翔『されどわれらが日々』がそれだ。
1964年に芥川賞を受賞した180万部超えのベストセラーだが、主人公のもとを去っていく婚約者の女性が最後に送った手紙の一節にこうある。
「今こそよく判ります。あなたは私の青春でした。どんなに苦しく閉ざされた日々であっても、あなたが私の青春でした」
60年安保を通過し、70年安保闘争が過ぎたあと、闘うべき対象を見失った若い世代の、ある者は転向(共産主義者・社会主義者などがその思想を捨てること)し、ある者は生き方を貫こうと田舎に移住し、自然農法を始めたりもした。
学生運動で派手な”前科”のある者はまともな企業に就職などできず、社会正義を謳う大手マスコミや左翼政治団体に身を投じるようになった。
1964年、あの田原総一朗も東京12チャンネル(現テレビ東京)開局とともに入社している。ジャーナリスト=左翼思想家だった時代の一人だ。
その田原氏がのちに、自らも参加した60年安保闘争を述懐している。
正直と言えばその通りだが、自分たちが敵視する対象の意味も分からずひたすら騒乱をまき散らしていたのだから、とんでもない話である。
朝日新聞を始めとする連日の偏向報道や、左翼勢力からの激しい集団暴力にも屈せず毅然と法案を通したのが、当時の岸信介内閣だ。従来の不平等な日米安保条約の改定に、全精力をつぎこんだ。
この日米新安保条約こそ、激動するアジア情勢の中わが国の安全確保に貢献したばかりでなく、世界の驚異といわれる経済的繁栄の達成を可能にした大きな要因になったものだ。
いくら毀誉褒貶あろうと、国家国民のため命を張った当時の政治家と、闘争の意味も知らずただ騒いでいた”知識階級”の幼さには、天と地ほどの隔たりがある。
そのような観点からあらためて『卒業写真』の歌詞をみれば、惨めなはずの敗北の過去が極端に美化される心の動きが、ある種の聴き手にとって発生するのではないか。
あの頃の生き方を あなたは忘れないで
あなたは私の 青春そのもの
「あの頃の生き方」を田原氏のように反省することもなく、「青春そのもの」の武勇伝であるかのように語るオヤジの相手をしたことがある。
「こいつバ〇か」と内心思いながらも、取引先の客だからニコニコ相づちを打ったもんだ。
オレって権力と戦ってたんだぜ~と過去を自慢する傍ら、これ俺の孫、かわいいだろう~?なんてのたまわる思考回路をどう理解すればいいのか、僕には全くわからなかった。
そんなオヤジがカラオケの十八番で『卒業写真』を唄い、目を潤ませでもしようものなら、こちとら悶絶するしかないのである。
もちろんユーミンがこの歌に込めた思いは、まったく意味合いの異なるものだったろう。時代がたまたま、そうした特殊な人々の心の琴線に触れてしまったに過ぎないはずだ。
問題なのは、いまだ自分の過去を正当化したがる当時の世代が、マスメディアや多くの政治団体の中枢を担っていることだ。
彼らが淘汰されない限り、国の本来の在り方を考える妨げになり続けていくことだろう。実に悪しき現状だ。
いい加減「卒業」しろよと、心から願っている。
(次回に続く)
イラスト Atelier hanami@はなのす