ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ
1980年公開のカドカワ映画『野獣死すべし』。
大手外信部記者として世界各地の戦場を取材し、内戦に揺れる国々で人間の狂気を目の当たりにした伊達邦彦(松田優作)は、東京大学卒のエリートだ。
そのトラウマから心が壊れ、社会性や倫理を否定し「野獣」と化した伊達は、帰国後に銀行襲撃を企てる。
相棒に選んだ無学の真田徹夫(鹿賀丈史)に人間性を捨てさせるため恋人を殺させ、思いを寄せる華田令子(小林麻美)を、伊達自ら射殺してしまう。
ひと気の絶えた夜行列車。
逃走をはかる伊達と、刑事・柏木秀行(室田日出男)が対決する演技には鬼気迫るものがあり、商業路線を徹底して貫いた角川映画にあっても、屈指の名作だと思う。
松田優作は役作りのため10キログラム以上減量し、更に頬がこけて見えるようにと上下4本の奥歯を抜いて、撮影に臨んでいる。演出や原作を超えて、伊達という人間が抱える狂気が見事表現されている。
伊達の内面の虚無を表現したかのような、気怠いテーマ曲がまたいい。作曲はたかしまあきひこ氏で、テレビの付帯音楽に主に携わっていたようだ。
『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』などヴァラエティが多く、CMソングには『エバラ焼肉のたれ』『ビゲンヘアカラー』『セブン-イレブン』などメジャーどころが並ぶ。
『野獣死すべしのテーマ』のように「マイルスかよ」な音楽を書ける人だがら、もうちょっとそっち方面の作品も残しておいてほしかったなぁと思う。それぐらい、この曲はいい。
劇中コンサートのシーンで演奏される曲はショパンのピアノ協奏曲第1番。ピアノを、当時20代だった花房晴美、村川千秋が指揮する東京交響楽団が演奏している。フル・オーケストラに日比谷公会堂を借り切っての撮影、カネかけてるねぇ。
伊達が令子と出会うレコード・ショップは建替え前の日本楽器(現ヤマハ銀座店)で、視聴室にレコードを持ち込み聴くシーンなんか、音楽好きには美味しくってたまらない。
「むかしは良かった」と陳腐なセリフの一つ、つい口をついて出ようというものだ。やっぱり音楽ってのは、これくらい大切に扱われなくちゃいけない。
それ以上に絶品なのは、伊達が自宅のオーディオルームでショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴くシーンである。
PIONEERの大型スピーカーexclusiveのウーハーに耳をそばだて大音量で鳴らす醍醐味に、ええなぁワシも銭あったらこんな空間で聴きたいなぁと思ったもんである(その後、銭はないままに、夢だけは割とすぐ実現するわけだが)。
先に知覚した情報にその後の判断が無意識に左右されるという心理を、「プライミング効果」と呼ぶ。「前もって教え込む」という意味の「 prime 」に由来している。
たとえば、「サンタさんはどんな服を着ている?」と質問をした後に「今思いつく好きな果物は?」と質問をすると、サンタの赤い服に刺激を受けて、リンゴ、イチゴなど赤い果物を答える確率が高くなる。
たとえば、前の日の夜に人気料理研究家がとても美味しそうなラーメンを簡単につくる番組を視聴して、そのシーンが強く印象に残っている。すると翌日、外食時にメニューを選ぶ際に、あえて意識することもなくラーメンを選んでしまう。
「ピザって10回言って!」と繰り返した後、ひじを指差されてここは?と聞かれると、”ひざ”と答えてしまう。
「みんなから人気の子らしい」と言われると、それまで意識しなかった人がなんとなく魅力的に見えてくる。
これらはすべて「プライミング効果」によるものだ。
この効果の重要な点は、当人がそれに気付いていないケースがほとんどということ、つまり無意識なのだ。
たとえば、あなたは昨日のランチで唐揚げを食べたとする。「なぜ?」と訊かれてうまく説明できるだろうか。ハンバーグでも生姜焼きでも選択肢はたくさんあったはずなのに、迷わず唐揚げを選んだのなら食べたい理由があったはずだ。それなのに、「ただなんとなく…」と答える人が多数である。
ひょっとしたらメニューを決める際、唐揚げの美味しそうな匂いを嗅いだのかもしれない。通り過ぎた唐揚げ専門店の看板が気になったのかもしれない。つい最近、テレビ番組で唐揚げを食べているタレントを見たからかもしれない。
何が引き金になるかわからないものの、風景や匂い、音、会話、テレビや隣のテーブル、新聞やネットニュースなどで得た、何らかの記憶の断片が突然行動につながる。これこそがプライミング効果の特徴と言える。
最初に挙げた「サンタの服は赤い」という例も、そのイメージが定着したのは1931年にはじまったコカ・コーラのクリスマス広告の影響と言われている。
それ以前のサンタクロースのイメージは、小さな妖精だったりふとっちょだったり、服も緑や青とバラバラで、決まったイメージは特になかった。
そこへ大きな体に真っ赤な衣装を着て、白いあごひげをたくわえた陽気なおじいさんサンタが登場して、アメリカ中に認知が広まったわけだ。
この広告の真価はプライミング効果を使って「サンタクロース・コーラ・赤色・家族・恋人・愛情・幸せ」を結びつけ、無意識にコーラが飲みたくなるように仕向けてしまったことにある。
当時18歳だった僕がショパンやショスタコーヴィチの同曲を知るのも、ジャズを聴き始めるようになるのも、『野獣死すべし』を観た直後くらいだ。
それはマーケティングのように意図されたものでなかったとしても、やはり映画から影響を受けていたのは間違いない。
知らぬうちに気持ちをコントロールされていたなんて気味の悪い話ではあるが、結果としていい影響を受けたと、今は思う。
イラスト Atelier hanami@はなのす