感じる能力
「才能」とは何か。
物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。「音楽の—に恵まれる」「—を伸ばす」「豊かな—がある」「—教育」
と、ネットのgoo辞書にはある。
この辞書によれば才能とは、生まれつき備わったものである。しかしそこまで断言して良いものなのか。
今たまたまYouTubeで、グレン・グールドが弾くベートーヴェン『創作主題による6つの変奏曲ヘ長調 作品34』の映像が流れている。放送番組用に撮られたものだ。
幸いなこと僕はピアニストじゃないから、この人の演奏を聴いても「敵わない」とか、自分にここまでの表現力がない事を天に呪ったりしない。
ただひたすらに、濁りや澱みなどまるで感じさせない清澄な音の流れに涙し、至高の体験をさせてもらったピアニストに感謝するだけだ。
こんなもの観るにつけ、極めて限られた人間には「天賦の才」があることを、確信せずにはおれない。
いま映像が変わった。もっと若い頃の演奏で、ベートーヴェンのピアノ・ソナ第17番『テンペスト』の第3楽章だ。
データに1960年とあるから、27,8歳の頃の記録になる。後年のスタジオ録音より勢いはあるものの、それを若さ(未熟さ)と表現するには抵抗がある。
音楽の「完成度」という点で、どちらの記録にも優劣などつけ難い。
彼の人生最初と最後の『ゴルトベルク変奏曲』の録音のように、判定するなら聴く側の好みによるものでしかない気がする。
やはりこの人には、生まれたときから備わっていた他者にはないものが、あったとしか思えない。
同じ「才能」を広辞苑で引くと、明らかに違う要素が入ってくる。
才知と能力。ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力。
つまり才能には、「生まれつきの先天的な素質・能力」と「訓練によって開花する後天的な能力」の2つがあるということになる。
たしかに、グールドにいくら「天賦の才」があろうとも、たゆまぬトレーニングなしにその才能を開花させることは不可能だったろう。
上記の広辞苑からキーワードを拾うと、「才知」「能力」「先天的な素質」「訓練によって得られる後天的な能力」の4つがある。
このうち「才知」に関しては、「かしこさ」や「頭の回転の速さ」と解釈しておく。
「能力」は、「物事を成し遂げることのできる力」だ。
「先天的な素質」は個人が生まれつき持っていて、性格や能力などのもととなる心的傾向だ。
サッカー選手に憧れて努力する子供。
困っている人を見ると、手助けせずにはいられなくなる人。
問題を解くのが大好きで、学者になった人。
人それぞれに、心的傾向は違っている。
この心的傾向(感じ方)によって、性格や能力は自ずと変わる。
まず最初に「先天的な素質」つまり「心的傾向(その人独自の感じ方)」があり、それが性格・能力を形成し才能として開花するという、成長の段階があるわけだ。
心的傾向が性格になり、性格が才能になる。
たとえばアスリートのように、能力が才能に変わるというのは分かりやすいが、心的傾向が能力に変わるというのは、あまり馴染みのない考え方だ。
では、「性格」の定義とはなにか。同じく広辞苑によれば
ある個人に特有の、ある程度持続的な感情、意志、認知面での傾向や性質
となる。
意志について言えば心的傾向と同様に、
一番になれるなら我慢できる。
困っている人を助けられるなら我慢できる。
問題を解いたときの快感があるから我慢できる。
など、その人が欲するご褒美によって、我慢できる対象は変わってくる。
つまり「意志、認知面での傾向」と「心的傾向」は同じ意味であり、訓練や我慢などを伴う「持続性」こそがポイントになるわけだ。
ある心的傾向に「持続性」があれば、それが性格になる。
能力を伸ばすためには、「持続性」あるトレーニングが欠かせない。
その結果、性格も才能に変わるというわけだ。
たとえばグールドに関しては、次のような逸話がある。
グールドの両親はともに音楽家で、特に母親は彼が成功する音楽家になることを望み、妊娠中から彼を音楽に触れさせていた。
母親はグールドにピアノを教え、赤ん坊の頃の彼は泣く代わりにハミングし、まるで鍵盤楽器を弾くかのように指を動かしたという。
言葉を読む前に楽譜を読み始め、 3歳の時には絶対音感の備わっていることが確認されている。
幼いグールドはピアノの単音を弾いて、その長い減衰に聴き入っていたという。そこまでいくとスゴイというより、異常である。
まさに「天賦の才」ある者が理想的な環境で育まれた結果が僕たち人類の遺産になっているのであり、彼からピアノを取り上げたら、生存すら危ぶまれたに違いない。
グールードの事例を知れば、逆に訓練や練習、習慣が続かない理由もわかるはずだ。
「訓練や練習が苦手」「なかなか続かない…」と思うのは、生まれ持った心的傾向に合わない訓練を続けようとしてきたからだ。
自分の心理的傾向に合った方法を選ぶのが、訓練や練習選びの重要なポイントになる。つまり才能の開花した人は、生まれ持った感情・意志の心的傾向に合った訓練を取り入れて能力を伸ばした人のことを指す。
才能が開花するには、1万時間のトレーニングが必要と言われる。
毎日3時間なら約9年。毎日6時間なら4年半。毎日8時間なら約3年半。
好きなことを仕事(心的傾向にあった仕事)にした人がぐんぐん伸びるのは、仕事をしているだけで毎日8時間のトレーニングができているからだ。
イラスト Atelier hanami@はなのす