柳瀬の午後に歩いてる
娘たちの車で、岐阜駅周辺の商店街に着いた。午後3時過ぎ、これから街中をぶらつくという。
金華橋通りという少し離れた場所に駐車すると、利用料金が1時間100円・上限500円となっている。僕が住む清水のような田舎でも、なかなか出会えない価格設定だ。
駐車場奥は廃墟となったビルの背面にあたり、コンクリートが剥がれむき出しになった木枠に、歴史の風化を偲ばせる。
修繕というより解体必至の建物だが、これまで手を加えられた気配がなく、もはや所有者不明の可能性もある。
中心街からひとつ離れた路地を歩くと、とたんに色街を思わせる店が軒を連ねている。
ネオンが点るにはまだ時間が早いが、こういう”裏”の雰囲気に接するのは久しぶりだ。闇や薄暗がりの場所が徐々に消えていき、明るさ一辺倒の街の風情というのは、健全なようでありながら、どこか空々しい。
光あるところに闇がある。日本の歓楽街から闇が消えていくなら、その対となる光、活気が失せていくのも致し方ないことかもしれない。
柳ケ瀬商店街を歩く。典型的なシャッター商店街で、開いている店の方が珍しい。
天候を気にせずぶらぶらできる、昭和のアーケード街。我が町・清水銀座のアーケードを前日訪れたばかりだったから、歴史の終焉に立ち会っている感をなおさら強く持つ。悲壮感はなく、ただその瞬間を見届けているという淡々とした感覚だ。
1980年初め、ロンドンに1週間滞在したことがある。北欧研修(実質は遊び)が終わり、帰国まで数か国を周った時だ。
絵葉書のようなミュンヘンからヴィクトリア駅に降り立つと、とたんに鳩の死骸が横たわっている。空気が乾燥しているためか異臭はそこまで強くないが、ボロボロの襤褸をまとったヒゲもじゃのオヤジが、誰かれ構わず手のひらをかざし「カネをくれ」とまとわりつく。
あぁ、ここは終わった国なんだと、心底思ったものだ。
出掛ける時間になっちゃった。また明日。
イラスト hanami🛸|ω・)و