笑って許して
1月24日、富山地方鉄道「電鉄富山駅」で葬儀会場の音声が流れた。
駅員がマイクをオンにすると、隣の葬儀会場のお経が流れ始めたのだ。
「その時間帯の葬儀で、お坊さんがお経をあげるときに使っておられた葬儀会場のワイヤレスマイクと周波数が一致したために、駅員のマイクがお経の音声を拾ってしまったみたいです。その結果、お経のような音が駅構内のスピーカーに流れてしまいました」
一方で、該当するとみられる葬儀会場では「対応できる者がすでにいない」として、確認できなかったそうだ。
ここまで来たら、ちゃんとしたオチが欲しいじゃないか。
万が一出棺の際、「発車します」のアナウンスとでも被っていたら、忘れられないお見送りになっただろうに。
人間の行動は、【刺激 → 情報処理 → 反応】という構造になっている。
これを笑いに当て嵌めれば、
笑いを引き起こす(刺激) → 入力された刺激情報を「笑え!」という運動情報へと加工して出力する(脳内処理) → 筋肉を中心とする身体内の諸部位を活動させて生じる(反応)
となる。
それが冗談の場合ならば
冗談を聞く → 冗談を理解し、おかしいと感じ、脳が「声に出して笑え」と指令する → 「はっはっは」と笑う
となる。
ところでこれは極端にわかりやすい例であって、笑いの一要素に過ぎない。笑いとは極めて複雑な現象である。
最も厄介なのは情報処理(脳内処理)である。
この過程を明らかにするのが脳科学(神経科学)であるが、これをもってしてもなかなか笑いの謎に追いつけないのが現状だという。
人が笑うのは、何も楽しかったりおかしかったりするからとは限らない。
心にもない愛想で笑い、苦しまぎれに笑い、痛がりながら笑い、悲しいときに微笑み、恐怖のあまりに笑いもする。
チンパンジーやゴリラ、とりわけ子どもたちは遊びの中で互いにじゃれ合って笑う。その笑いの目的は自分たちが遊んでいることを相互に確認し、きずなを強めることに限定されている。愉快だから、おかしいから、ましてや苦しまぎれに笑ったりすることはない。
その意味では、本格的に笑うのは人間だけだ。
笑いの表情は、頬を冷笑的にピクッと動かすだけのものから、涙を流し、手を打ち、足を踏み鳴らし、身をよじらせての大爆笑まで千変万化だ。
笑いの身体運動は、「笑顔」と「笑い声」の2つに大別することができる。
発声のない表情だけの笑いと、声を上げての笑いである。
1964年、ユーモアを健康維持に応用する試み、ユーモア療法が始まった。
この年、深刻な膠原病を罹患した米国の著名なジャーナリストが「ポジティブな感情は病気を快癒させる」のではないかと思いつき、四六時中笑うことに努めた。すると症状が劇的に軽減し、数年後には全快する奇跡が起きたという。
笑いは膠原病のみならず、がん、リウマチ、糖尿病、アレルギーなど多くの病気の治療や予防に有効である。
強力な鎮痛効果があり、ストレスを和らげ、脳血流を活性化するなど、多くの知見が蓄積されつつある。
「笑いは百薬の長」であることが、サイエンスによって実証されているのだ。
笑いは落差から生じるものだとされている。
ユーモアの基本原理は「ズレ」で、「おかしい」とは物事があるべき姿から外れている状態をいう。
人生の終着駅、坊さんの読経で参列者を笑わせたなら、あの世から皆様の長寿を祈っているに等しい。
お経と構内アナウンスの混線。時々あっても、いいじゃないか。自分の葬式(せんでもいいけど)だったらこんなハプニング、大歓迎である。
生前に、ケチな悪さやしくじりを繰り返したこんな私も、それで水に流してもらえんものだろうか。
イラスト hanami🛸|ω・)و
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