乗り遅れた流行
20代は神奈川にいて、週に3回、仕入れのため夜間に長距離運転をしていた。
何の装備もないオンボロ車だから、最初はAMラジオを流しっぱなしにして走っている。
そのうち仲間の一人が、粗大ごみ置き場からカーステを拾ってきて(アバウトな時代である)、機械オンチな僕の代わりに取り付けてくれた。
スピーカーはダッシュボードに両面テープで貼り付けただけのもので、なにしろ揺れの激しいボディだからよく転げ落ちたもんである。それでも当時は、車中で音楽が聴ける喜びでいっぱいだった。
カセットテープにダビングしたアルバムを、何度も繰り返しかけた。
Miles Davis『Bags' Groove』、June Christy『Something Cool』、『小鳩くるみの愛唱歌』、森進一『影を慕いて』等々、聴いた数は10回や100回で済まないだろう。
一つの音楽に集中できる時期を過ごせたことは、実に幸せだったと思う。
雨の夜の国道16号線。不思議な浮揚と幸福感に満たされた、マイルスのトランペット。
恋に破れた日々、どこまでも心に広がり沁みたジューン・クリスティ。
日本唱歌の圧倒的な素晴らしさに開眼させられた小鳩くるみ。
歌うという行為の根源までを、10代で表現し尽くすかと思わされた森進一。
自分なりの「基本」が、彼らを通じて形成されていった。
仕入れのない夜はジャズ喫茶のカウンターの中で、こちらは取っ替え引っ替え、数千枚あるレコードから選んではかけていく。
高価なメーカー製に依存せず、スピーカー(ALTEC A-7)以外はリーダーが自分の耳でつくり上げたオーディオ装置の音は、その後聴いた数千万円の装置すら軽く凌駕する豊かさだった。
バド・パウエルの指が、鍵盤の芯にまで届くことで初めて発せられると思われる”コキーン”という響き。あれこそまさに「宇宙の鳴動」と表現すべきものであり、人間にとって音楽こそが、最上の体験であることを実感させられた。
客のいる日の方が珍しい店だったから、たいがいは貸し切りで、最上級の音楽を最上級の装置で聴いていたことになる。
してみると僕は20代で、一生分の贅沢をし尽くしてしまったのかもしれない。
なんて、例によって前振りのつもりの話が長くなった。
本題は明日とするが、車中の移動で聴く音楽に、今のものがないなぁと思い始めたわけである。
たしか、J-POPという言葉も普及していない80年代後半、藤圭子や青江三奈を中古レコード屋で買うことはあっても、『DIAMONDS〈ダイアモンド〉』にも『とんぼ』にも関心がなく、邦楽聴いとらんなぁ、ひょっとして知らんだけで、いいものもあるんじゃないのか?となって、「お勉強」のつもりでCDレンタル屋さんを覗いてみた。
何枚か借りてダビングし、移動中の車で学習しようというわけである。
イラスト hanami🛸|ω・)و