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見えないものが見たくなる

人間関係なんて一概いちがいに、どっちが正でどっちが非などと、100対0で割り切れるものなどありはしない。
そんな時、割り切るべきは自分のはらの方で、こっちの言い分も分かるしそっちの言うことも一理あるしなぁなどといつまでも逡巡しゅんじゅんばかりしていると、結局どっちつかずの半端な関係性しか築けなくなってしまう。

能力ある人であれば一を聞いて百を知り、その辺をキッチリさばいて最善の回答を導き出すことが可能かもしれない。
僕のように凡人の自覚充分な人間にとっては、意見の衝突がある場合、双方から(望むべくは当事者同席の上)話を聴こうと心掛ける。
一方的な情報での判断だけは、しないつもりだ。

「自分が見たいものだけを見る」のは人間の属性だ。
このところヒートアップしていた東京都知事選なんぞ、地方に住む傍観者の立場で一歩も二歩も引いて(X等で)都民の皆さんのコメントを追っていると、けっこう興味深かった。

フォロアーの方に限っても、それぞれしの人物を上げられ、真剣に都の未来を託すべき候補者が誰であるか、その思いを述べられている。
興味深いと思ったのはその人選が、ベターでなくベストと信じておられる点で、決して消去法のしらけた気分からでなく、この人が都知事になれば東京の未来はバラ色に変わるみたいな、理想像を描く人が多かった。
これなんか、見たいものだけ見てるなぁと思ってしまう。

各々おのおのの候補者の情報をどう取ってくるかによって、判断基準は著しく変わる可能性がある。
テレビだけでは清廉なイメージしか伝わらない候補者でも、ネットの世界で暴かれる過去の事象を見れば、これほど腹黒い人物も珍しいという真逆の評価に変わることもあるだろう。

そうであっても、自らが信じる候補に一票投じる姿勢こそが民主主義の根幹こんかんであり、投票率が60%を上回った事実と共に、今回の都知事選はまずまずの成果を上げたと思われる。
自らの投票行動によって未来が変わると信じられなければ、民主主義は機能しない。
「自分が見たいものだけを見る」結果が後から間違いだったと気づいた場合でも、民主主義が機能している限りは、次の機会に修正が可能である。

なぁんて、思いつくままワープロ叩いてるからついでっかい話になってしまうが、ここでは「自分が見たいものだけを見ている」典型的な人について触れてみたい。

先に申せば人が陥りやすいこの傾向から、自分だけを枠外にしようなどと思ってはいない。
むしろ思い込み・妄想は人一倍強い自覚があり、勝手に作り上げた人物像が後から粉々に崩れ去ったなんて過去を、何度も経験している。
でもそっちの話だとあんまり生々しく、相手を中傷してる風にもなってしまうので、ここでは最近おきた他人の事例から挙げてみたい。

先日、プロジェクトメンバーのお一人から、ちょっとお話したいんですけどと来たもんである。
ふだん事務所として使っている場所で待ち合わせ、向かい合って話を聞く。

彼女が言うにはどうやらメンバーの中の一人と、決裂するほどの出来事が最近起きたらしい。
実は決裂したというお相手を僕に紹介したのが彼女で、「あんな人だとは思っていなかったもんですから」との事だ。

月に何度か開かれる会議の場で、そのお二人の所だけ微妙な空気が流れているのは、もちろん歓迎すべき事じゃない。
でもまぁそこは大人同士、無理に仲良くせずとも距離を保って、直近の大事な課題に向き合ってもらいたいもんである。
あくまでその亀裂は当事者お二人の問題であって、プロジェクトまで巻き込まれてはお門違いである。

それにしても「あんな人」の「あんな」というほど、どれだけ深刻な事態が起きたというのか。

お二人とも、立場は違えど日本の食文化に対して、並々ならぬ関心を持っておられる。
片や学校給食にオーガニックを導入しようと活動すれば、一方は国内自給率の低さを憂えて、自ら米や大豆を生産するほどの熱心さである。
僕から見れば双方、高い志を持って日々を過ごされている。

”オーガニック給食”の彼女によれば、自身が参加する二つのグループに引き合わせようと、最近この”大豆”さんを連れ出したらしい。
そしてそれぞれの集会で、”大豆”さんが問題を起こしてしまったというわけだ。
(明日に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす






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