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徳より血統
プロジェクト代表が講師を務める「市内の史跡から観る 日本の国づくり」、その第2回目を聴講してきた。
今回は大和朝廷による国づくりに始まり、我が地元の豪族も参戦した「白村江の戦」へと話が進む。
後半は仏教伝来と聖徳太子の話になり、「冠位十二階」や「十七条憲法」が紹介される。
そして最後に、日本の為政者の精神性を象徴する事例として「大仏造立の詔」と、「民のかまど」の逸話が紹介された。
日本でもっとも有名な仏像といえば、奈良‧東大寺の大仏だ。
像の高さは15メートル近くあり、耳の長さだけで約2.5メート ル、目の幅は約1メートルの巨大さだ。
全体が銅でできており、中は空洞の骨組みになっている。完成当初は大仏の表面に金が塗られ、光り輝いていたそうだ。
神亀5年(728年)、聖武天皇は世継ぎになるはずだった待望の息子・基親王を、1歳に満たぬうち亡くしてしまう。
愛する我が子の冥福を祈って、平城京の東に小さな山房を建てた。これが東大寺のはじまりと言われる。
当時の世の中は干ばつや大地震などで多くの民衆が苦しみ、天然痘の流行から権力者も次々に病死していた。そのため醜い政権争いが続くなど、天皇の心は安らぐことがない。
そこで聖武天皇は、「仏教の力で国を安定させたい」という一心から、国家の災いを取り払う「金光明最勝王経」の教えをもとに、諸国に国分寺と国分尼寺を建てるよう命じた。
そしてこの時、かつての山房が大和国の国分寺に定められた。これが「平城京の東にある国のお寺」という意味で「東之大寺」と呼ばれるようになり、そこから「東大寺」の名が定着する。
天平15年(743年)、聖武天皇は「廬舎那大仏造立の詔」を発する。
仏教の力によってすべてのものが心安らかに暮らせる世の中になるよう廬舎那仏を造りたい。
ついては国じゅうの銅を使って像を造り、山を削ってお堂を建てることに協力してほしい。
私が富や権力を行使し造るのはたやすいが、それでは形だけの仏像になり、世の中をいっそう不安定にしてしまうだろう。
私のこの思いに賛同して、一本の草や一握りの土といったわずかな力でも、自発的に協力しようという者がいればともに廬舎那仏を造ろうではないか。
これが聖武天皇の発した、詔の内容である。
聖武天皇は決して我欲のためでなく、民の思いが込められた大仏の力によって国の災いを絶とうとした。
我が代表によれば、「徳」ある天皇(=為政者)の歴史によって日本は素晴らしい歴史を残してきたと言う。「天皇」という形ではなく、そこに宿る精神こそが貴いのだと解説していた。
ところが東大寺と大仏の完成までの間に、聖武天皇の皇子が17歳の若さで亡くなってしまうなど不幸は継続していた。ついに耐え切れなくなった聖武天皇は大仏の完成を待たずして、出家・譲位してしまうのだ。
それにトップがいかに素晴らしい理念を掲げようと、実際に建てる側の官吏からすればキレイごとだけで事は済まないから、結局は資材や労働力を民衆から強制する側面も多く、デモやストライキも相次いだらしい。
国は相変わらず、荒れていたようだ。
皇室を「徳」と結びつけるのも、願望としては否定しないが現実的ではない。天皇を「天皇」たらしめるのは、「血統」をおいて他にない。
皇紀(日本神話で初代天皇である神武天皇が即位したとされる紀元前660年を元年とする日本の紀年法)2684年という世界最長の王朝を担保するものは、「皇位継承資格を皇統に属する男系の男子に限定する(皇室典範第1条)」に尽きる。
126代続く天皇の全員が、「徳」ある存在であったとは考えにくい。
中には「文雄くん」や「茂くん」、「カマラちゃん」のような困ったチャンもいたかもしれない(さすがにいないか😅)
過去に女性天皇は存在しても、女系天皇は存在しない。皇室典範は男系であっても女性であれば天皇になることを認めず、母方に天皇の血筋を持つ「女系天皇」も除外されてきた。
これを現代人の「男女平等の世の中に反する」「こっちの女性皇族の方が天皇に相応しい」などと浅はかな主張に乗じてルールを変更すれば、その時点をもって2,000年以上続く歴史はリセットされる。これは紛れもない事実だ。
それは「日本」という国の形が、根本から覆る瞬間でもある。
天皇の前提を「徳」ある為政者とするのは、危険なポピュリズムと思えてならない。
なんて事を今日のセミナーで、聴講生の立場から言ったりはしない。多分に講師の思いが込められていようと、他国にはない為政者の高い倫理こそ見直されるべき時だろう。
代表は今月後半に、今度は中学生を相手に講師を務めるそうだ。
日本人たる者「徳」ある為政者たれと説くのであれば、実に有意義なことだと思う。
今日のセミナーで触れられた「民のかまど」。
有名な逸話でご存じの方も多いと思うが、次回、こちらを考察してみたい。
イラスト Atelier hanami@はなのす