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不安のユーモア
「急がば回れ」の故事なら、誰でも一度は聞いたことがあるはず。
急いで物事に当たらなければならない場合、人は無駄なく効率的な方法を一番に考えがちだ。ところが効率優先の慣れないやり方で失敗し、二度手間になって却って時間をかけてしまったりする。
たとえ急いでいたとしても、丁寧で確実な方法を選んだ方が、結果的に効率がいいとのたとえだ。
「慌てる乞食は貰いが少ない」などと似たような格言が、昭和の時代には用いられていた。今は「乞食」が放送禁止用語らしいから、単語じたい知らない世代があるかもしれない。他人から物品や金銭の施しを受けて生活する者を指す言葉だ。
「たくさん貰おうと慌てて欲張ると、情に訴えるべきところで欲深さを見透かされ、反感を買った挙句貰い分が少なくなってしまう」ということわざだ。
「可愛い子には旅をさせよ」「負けるが勝ち」。これらは全て、逆説のことわざになる。
「可愛い子」であるからこそ、甘やかすのではなく辛い世の中を経験させるべきだし、相手に勝ちを譲り、争うことで生じる損失を防ぐ方が勝負に勝つより価値が高い。
これが「可愛い子は大事に育てよ」「負けたら負け」では当たり前に過ぎて、誰の共感も生まないだろう。聞くまでもないことだからだ。
物事を逆説的に捉えると、思わぬ発見がある。
世間の常識が「AはBである」とするとき、「AはBではない」と逆説的に考えてみる。
たとえば、誰もが「戦争反対」を口にする。
普通なら戦争に賛成する人間など、いるはずもないと考える。これを「戦争は善である」という前提に変えてみるのだ。
誰もが反対であるならば、どうしていつの時代にも戦争は存在するのか?
それは、ある種の戦争を善と思う人がいて、実際に利益を得ている階層が存在するからだ。
戦争が楽しいと感じる少数者もいる。他者を殺すことで性的快楽を得る人間は、国の内外を問わず一定数存在している。
戦争とは人間社会における必要悪で、善であるという考えもある。
「戦争反対」といいながら、戦争に関わるコンテンツは世界で大量につくられている。誰もが戦争に親しんでいるといっても過言ではない。そしてそれが、経済効果を生んだりもしている。
とくにグローバルな経済活動においては、ライバル企業とのし烈な戦争に勝ち残ることこそが至上命題になっている。
銃や爆弾のように直接的に人を殺すわけではないが、敗者が勝者によって追い込まれ、間接的に命を絶たれることなど日常茶飯事だ。
「戦争反対」だけを唱え盲信しているだけでは得られない逆説的な視点をもつことで、ものごとの本質へ迫ることが可能になる。
通常の価値観の一面性を暴露し、それを反転させる思考スタイルを「逆説思考」と呼ぶ。 この思考法を身につけることで、常識や気分に流されないホンモノの思考力・洞察力を獲得することが出来るという。
「逆説志向」では、その本人が不安に思うことや恐れを抱くことを、自ら積極的に望んでみたり、行なったりする。
不安や恐れから人は逃げたいものであるが、逃げるのではなく、むしろ不安や恐れの中に飛び込み、くぐり抜けていくような「荒療治」の側面がある。
人前で話す時、どうしても緊張してしまう人がいる。
会議やプレゼン、結婚式のスピーチの場面で人の前に立ち、「緊張しないように、しないように」と思うほど、顔が赤くなったり手が震えてきたり汗が流れてきたりする。
こうした緊張は自分の意志と無関係に起きてくる生理現象であり、なかなか克服できない。
この時、心で「緊張しないよう、しないよう」と緊張を抑えようとしても、逆に体の方はどんどん緊張していく。そうした緊張状態では、心理的な葛藤が発生している。その葛藤がますます緊張を加速させるので、覚えていることを全て忘れてしまう、所謂「頭が真っ白になる」状態が起きるのだ。
一度でもひどい失敗をプレゼンの場でしてしまうと、「あの時みたいにはなりたくない。もうこりごりだ」と、その状況を想像するだけで体が熱くなったり、冷や汗が出てきたりする。そして「次のプレゼンでも同じような目に合うのではないか」と、起きていない現実を思い描いて「不安」にとらわれるようになる。
「また同じ目に合う」と考えるだけで、あたかもその場にいるかのようなリアルな不安が生まれるのだ。
こうした「予期不安」が強くなると、「いっそ明日のプレゼンなくなればいいのに…」「どうせうまくいかないんだ」「こうなったのも上司の〇〇が悪いんだ」などと、否定的なことばかりに考えが行ってしまう。
「失敗したくない、恥をかきたくない、不安になったり緊張するのは嫌だ」
不安から逃げ出そうとすればするほど不安感は強くなり、その結果、自信をもって堂々とプレゼンできないネガティブな現実がつくり出される。
不安や緊張に意識を向けることで、実は本人が不安な状況を現実化しているわけだ。
「逆説思考」では「緊張しないように」ではなく、「もっと緊張しろ、もっと緊張してやれ」と、自分が恐れている状況を恰も自らが望んでいる(志向する)ように仕向ける。
避けたい状況を自分に指示する際、ユーモアを絡めるのが「逆説思考」の大きなポイントになる。
「今日のプレゼンで、自分は世界で一番の緊張をしてみせるぞ。顔を真っ赤しにして、ぶるぶる手を震わせて、話すことを忘れて途中で沈黙したりして、みんなを大笑いさせてやる」といった具合だ。
逃げるから「そうなる」のであれば、逃げなければいい。
むしろ、症状に立ち向かっていく。あえて、それを「もっとそうなれ」と望むことで、症状は軽くなりもするし、場合によって消えていくこともある。
辛い物を食べて口の中が「HOT」な状態にある時、「COOL」な水をいくら飲んでも、実は辛さは収まらない。
むしろ「HOT」なお湯を口中に行き渡らせることで、不思議と辛さは消えていく。
逆説思考とは掌に人という字を3度書いてこれを呑み込む、おまじないの進化形のようなものかもしれない。
イラスト Atelier hanami@はなのす