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ゲームセンター業界について詳しくなろう

こんにちは!Recept代表の中瀬です!

最近ゲームセンター業界の方とお話しする機会があり、色々と調べたのでその記録を残したいと思います。

基礎情報

2019年で7000億円の市場が存在した。(コロナによって一時的?に下がっている)

ゲームセンターの定義:ゲームセンターとは、硬貨投入型機械を利用する娯楽施設

日本においては、法的な定義に則ったゲームセンターは1990年代に存在した数万店舗から数千店舗に減少しているらしい。

しかし、日本ではこれでも生き残った方であり、諸外国ではもっと衰退している。

ゲームセンターの期限は浅草松屋の屋上から

この、1930年代に屋上に設置された、「スポーツランド」という娯楽施設が日本のゲームセンターの先駆けと言われているそうです。

遠藤さんという自動販売機を中心とした機器の製造と販売をしていた人が開発したらしいです。

そして、戦争のため人手不足となり、一時ゲームセンター産業は時が止まります。

それからSEGAの前身の会社がジュークボックスなど、米国の文化を持ち込む形で機械を販売したり、バーなどの店舗に機器を貸し出して利用料金のマージンを徴収するようになったそうです。

そして1970年に入って2つのゲームが開発され、ゲームセンター文化が日本にフィットしたと言われています。

1つがメダルゲーム。もう1つがインベーダーゲームです。

メダルゲームはメダルを投下して条件を満たすと報酬としてメダルがもらえるというものがめちゃくちゃウケたみたいです。

そして、インベーダーゲームもとんでもなく人気だったそう。

実は前身となったゲームがブロック崩しで、その派生として、対「壁」ではなく、対「敵」の体験に変えたものがインベーダーゲームでは、当時は子供たちがゲーセンに入り浸って、学校でインベーダー禁止令が出るほどに。

なんだか今のSNSみたいですね。

そして1990年代に風営法の対象にゲームセンターが認められたり、家庭用ゲーム機という技術革新が起きたことで徐々にゲームセンター業界全体が衰退していきました。

一方で、ムシキングのような仕様上、ゲームセンターに行かざるを得ない筐体や、UFOキャッチャーなど新しいゲームの開発によって一定の人気は維持し続けました。

この時オールネットというSEGAが出しているゲーセン向けのネットワークシステムが導入されて磁気カードにゲームの履歴を保存してインターネットとゲームがつながったり、ムシキングのような機器ができたりと、色々と革命が起こっていそうです。

ちなみにムシキングはゲームセンター運営側がカードを買い取って、しかも売上の7割くらいがメーカーに持っていかれるという運営側からすると人気は出るけど儲からないビジネスモデルだったようです。

日本と諸外国でのゲームセンターの比較

日本はゲームセンターは市場を維持し続けていて、アメリカだと息の根が止まっているようです。

元来日本にゲームセンター文化(Game Arcade)を持ち込んだはずの企業は「Family Entertianment Center」という子連れテーマパークを運営していて、細々と経営しているようです。

そういう意味では日本のゲームセンターはかなり生き残っている方なのですが、何がそうさせたのでしょうか。

本当のところはわかりませんが、ゲームセンター文化の広がり方に違いがありそうです。

アメリカはピンボールのようなアーケードゲームがバーなどの店舗に設置する形態で広がった隙間産業的な位置付けだったようです。

また、学生などの子どもが遊ぶ場としては不適切であるという運動が強く行われ、若年層の顧客を取り込めなかったらしいです。

一方で日本は前述した屋上遊園地や、駄菓子屋さん、ゲームセンターなど、少なくとも多種類かつ、ゲーム機専業の店舗もあったりして、規模の大きい展開の仕方もありつつも若年層の顧客も取り込めていたように感じられます。

また、青少年育成条例や風営法などの規制は日本とアメリカにも共通して存在しましたが、日本では規制に則りつつ新しい機器の開発に乗り出し、未成年でも安心して遊べる場所になっていきました。

アメリカは規制に対して訴えを起こしたり、イメージを良くするための広告を打ったりと、店舗側の工夫というよりかは世論と戦う感じになってそのまま産業自体が衰退していったようです。

こういった社会統治による規制に対して業界団体や企業がどう動いたかという点において違いが生まれ、産業の発展につながったりするのだなと感心しました。

賭博と青少年保護

ゲームセンター業界において、賭博と青少年保護は切っても切り離せない存在だと認識しています。

そもそもなぜ賭博を厳罰化しているのかという点ですが、それに関しては、古来から賭博によって財産を失った人たち(博徒)が社会情勢を不安定にさせると危惧されていたからです。

ゲームセンターが射幸心を煽るものなのかどうかという議論はさておき、ゲームセンターに置かれているような機器を改造して賭博機器を扱う業者が増加したことから、ゲームセンターは法的な管理が必要な娯楽施設になりました。

また、非行少年の溜まり場になりやすかったことから、未成年の入場は22時までという規制も受けるようになりました。

「18時とか、もっと早くしたほうがいいのでは?」

という議論もあったらしいのですが、そんなこと言い始めたら飲食店はどうやねんということになり、22時に落ち着いたみたいです。

これに関して、ゲームセンター事業者の方は大変気にされているようで、現場のオペレーションも徹底されていると聞いています。

まとめ

そんなこんなで、日本は海外と比較しても独自的に成長していったのがゲームセンターのようです。

DID/VCという技術要素がこの業界にも入りうるとは思っていて、ちらっと調べてみました。

図書館で文献を読んだりするのは思いの外楽しかったので、またこういうのをやろうと思います。

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