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父を偲んで
今年で二十三回忌を迎えた亡き父のことを偲んで書き綴ってみる
お盆が明けて一か月が過ぎ、9月も半ばである。
お盆に亡父の遺影を見ながら思う。
いつの間にか遺影の父と同じ年になっている自分がいる。
あの頃、父は何を思っていたのだろう?
父はその人生の大半を病魔と闘って過ごし、還暦を待たずして世を去った。
人生百年の時代と言われている昨今にしては早過ぎる死だった。
自分はまだ健康だった頃の父を知っているが、少し年の離れた弟は病魔に侵されてからの父しか知らない。
自分は運動会で父と走ったりした思い出があるが、弟にはそれが無い。
自分にとって父は、不幸にも病魔に侵されてしまった人で、その回復を願っていたが、弟はそもそも健康な父を知らず、障碍者となった姿しかわからない。
それが良いことか悪いことかはわからない。
だが、父の人物像の捉え方に差があることは否めないだろう。
身内の贔屓目かもしれないが、父は頭脳明晰で面倒見もよく、周囲からも信頼を得ていた地域の兄貴分のような存在だったらしい。
病魔に侵され不自由となった肉体を抱え、父はどんな思いだったのだろう?
節目節目に考える。
初めて父が倒れたとき、病名がわかったとき、大手術を受けたとき…
自分がその年齢を迎えるたびに健康であることに感謝してきた。それと同時に父がどれほど辛かったのか、どれほど苦しかったのか、どれほどの虚しさを抱えていたのか、わかるような気がした。
働き盛りを病魔との闘いに明け暮れ、最後は意識が戻らないままに息を引き取った父。もしも今際の際にもう一度だけ話すことが出来たら、いったい何を話したのだろうか?
心の奥底で繰り返し繰り返し思う。
自分は父のようにはなれない。
父のように才気煥発でもなければ人望もない。
何か特別な才能があるわけでもない。何もないのだ。
自分は父の遺していった有形無形のものを食い潰すだけなのか?
そんな思いが頭を巡る。