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猛暑の夏から収穫の秋へ

今年の夏は特に暑かった…と思う

 自治体のLINEアカウントからは、連日のように熱中症アラートが鳴り響いた。今日も猛暑なのかと、うんざりしながら過ごした夏も、いい加減にそろそろ終わりだろう。
 ともかく、毎日のように35℃を超える日が続くというのは、少し異常な気もする。子どもの頃は30℃を超えれば暑い日だと思っていたし、それが夏らしいとも感じていた。私の住んでいるところは日本海側なので、今年は立て続けに発生する台風の影響で、いわゆる「フェーン現象」が起こっていたことも一因ではないかと思う。
 日中の気温は30℃前後まで下がり、朝晩はだいぶ涼しくなった。草むらから聞こえてくる虫の音も、すっかり秋模様だ。
 季節は確実に移り変わっている。

仕事について

 リンク先の記事でも以前書いたのだけど、空き家と土地を親族から譲り受け、金も無いのに法人を設立し、行政書士として個人事業主となった…けれども、いきなり収入に結びつくはずも無く、リノベーションして使おうと画策していた空き家の補改修費用の資金調達に苦慮している。春先にクラウドファンディングページを作成し、申請してみたのだが、いろいろと修正が必要で、そのまま塩漬け状態になっている。
 建物をリノベーションして、ゲストハウスを運営しつつ、その一室を管理事務所としながら、行政書士事務所を兼ねるつもりだったのだけど、完成予想図を添付してほしいとか、まだ宿泊業として許可を受けていないので、宿泊サービスの提供は出資者へのリターンに設定できないとか、いろいろと改善点の指摘を受けた。手を付けようと思っているうちに、またも体調不良は襲ってくるわ、身内が亡くなったり、肉親が入院したりと、ちょっとトラブル続きで、なかなか進まない。それも人生なのだと思うしかないのだろう。
 地元地銀の担当者を紹介してもらい、土地と建物を担保に開業支援資金制度を活用した融資を申し込んでみたものの、不調に終わってしまった。仕事を始めたいと思うのだけど、それのベースとなるものは未だに整備されないまま、時間だけが過ぎていく。その間にも固定費として出て行くお金もある訳で、手詰まり感が頭をもたげてくる。
 一刻も早く現金収入を確保せねばと思い、従兄に頼み込んで、先日から農作業の手伝いを始めた。

広がる田園風景を見ながら

 従兄は肉牛の繁殖から肥育までを行いながら、水田で稲作、集落営農法人の代表、地元JAの理事など兼務している。本人は、お人好しの自分に周囲が押し付けているだけだと謙遜するのだけど、それだけの人望があるということだろう。
 8月のお盆の時期。猛暑日の続く最中に、人手が足りないから手を貸して欲しいと連絡があったのが事の始まり。
 そもそも、こちらから頼み込んで仕事を貰った訳では無かった。
 農家も高齢化が進み、従兄も60代半ば。もちろん家族もいる。しかし農業は自分の仕事だと割り切っているようで、家族の手を借りることはしない。集落の中の複数の農家と作業を分担しながら、朝から晩まで働き詰め。本当に頭が下がる思いだ。
 最初に頼まれたのは、刈り倒した牧草の集約作業。機械でロール状にしてからラッピングし、そのまま発酵飼料とするのだが、その前に機械で巻きやすいようにトラクターで集める作業だ。実際は、トラクターの後ろに装着したアタッチメントが仕事をしてくれるので、人間の作業としては運転するだけ。水分補給しつつ、遠くの山々を眺めながらの作業だった。今どきのトラクターはキャビン付きでエアコンなども完備されていたりするのだが、私の運転したのはキャビンどころか屋根すらない機種だったので、それこそ炎天下で熱中症対策をしながら作業を進めた。
 それで従兄もずいぶんと助かったのか、引き続きWCS(ホールクロップサイレージ)の収穫作業の手伝いにも駆り出され、そのおかげで2トンダンプやリフトを使っての作業も経験させてもらった。
 今年の夏は猛暑日続きだったのは前述のとおりだが、そのおかげで水稲の生育が早まり、稲刈りが一週間前倒しになって準備作業が間に合わないと、9月に入ったばかりの頃、件の従兄から連絡があった。
 コンバイン(稲刈脱穀機械)が入りやすくするために、畦道などの除草と、稲の間に生えるヒエの穂を刈ってもらいたいとのこと。例年であれば従兄が一人で空き時間を見ながら進めてきたのだけど、何せ一週間も早まった予定に対応しきれないから手を貸してくれということだった。
 自分の仕事も足踏み状態だし、日当はきちんと日当は払うと従兄も約束してくれたので、日銭を稼ぐために通い始めた。
 9月に入ってから猛暑日は減ったように思うが、暑いことには変わりは無い。炎天下、毎日のようにスポーツドリンクや麦茶などで水分補給しながらの作業。3リッター以上の水分を飲んでも汗で全部出てしまうほど。ただの水では塩分不足で目眩を誘発してしまう。倒れそうになりながら、僅かな日陰を見つけて息を整えながら作業する。従兄は「倒れないように自分のペースで構わんから」と言ってくれる。
曰く、感覚的に例年よりも10日ほど早く稲刈り作業が始まっているという。そのため、本来ならば自分一人でやっても間に合っていたらしい。
 私が手を貸したおかげで、二日分の仕事が一日で終わると喜んでくれているが、それは半分お世辞のようなものだろう。何せ私は農作業機械など、ほとんど動かしたことが無いのだから、違う機械に乗るたびに操作の仕方を教わっている。実際、従兄がやってみせる作業スピードには、私は到底及ばない。
 仕事を求める私のために、割り振れる仕事を調整してくれているのだろう。そう思うと有難くて涙が出る。

農に生きる

 この年になると、若い頃には考えもしなかった思いが頭に浮かぶ。
 従兄は高校を卒業すると、すぐに就農し、農を生業としてきた。農閑期に日雇いで現金収入を得る以外、ずっと農に生きてきた。常に外的要因に左右され、経営は安定しない。それでも目の前の仕事をこなして行くしかないのだと従兄は笑いながら言う。
 不安なこともあるのだろうが、そんなことは微塵も感じさせない。
 人の手でどうにかできるものは、目に見えているほんの一部でしかないのだ。天候に左右され、資材費や飼料代に振り回され、懸命に手を掛けても、それが必ずしも結果に結びつくとは限らない。相手にしているのが生き物であり、自然環境だからである。けっして思い通りにはならない。工業製品のように、原価計算をして作業工程を見直すとコスト削減が図れるという類のものではないのだ。
 ある意味、達観的な考え方になるのも無理からぬことだと思う。自分が悩み、足掻き続けても、コントロールし切れないものを相手にしているのだから。
 「なるようにしかならない」
 これは諦めでは無いのだ。
 考えられる限りのことをやり尽くし、後は運と天に任せるしかない。
 リスクヘッジはするべきだと、したり顔で述べるのは容易いが、リスクヘッジなどを考える余裕も資材も人材も、すでに地域には無い。
 従兄が代表を務める集落営農法人も、平日の作業に集まってくるのは、ほとんどが60代半ばである。まだまだ元気とは言え、あと10年もすれば身体だって思うように動かなくなるだろう。他には40代が一人だけ。そっちも畜産との複合経営なので、全部の作業には関われないようだ。それでもさすがに週末になると、平日は会社勤めをしている会員も作業に参加してくれるので、人手は足りるのだと言う。
 食糧生産は生活の基盤であるはずなのだが、もしそれが立ち行かなくなってしまったら、この国はどうなるのだろうか?
 バブルの頃は、日本から農業を一掃して、金にモノを言わせて海外から買い付けてくればいいなどと暴論を吐く輩もいたが、現在の状況で同じことが言えるのか?
 ただ家畜飼料や石油燃料など、生産資材は全てが輸入頼みだ。海外から買うものが食糧そのものなのか、それら必須の生産資材を輸入しているかの違いでしかないのかもしれない。しかし、国内で生産力と生産技術を確保しておかなければ、もしものときに困るのは、この国に住む全ての人々だ。その意味では、一次産業への公的支援はもっと手厚くても良いと思う。
 少し話は逸れるが、例えば戦争のときなどは何が無くても兵士の食糧なのだ。前線に食糧を供給する兵站の確保は、行軍において最重要戦略である。
 政治の一番の役割は何か?自国民を食わせることである。為政者は、その基本に立ち返ってもらいたいと常々考える。

駄文の終わりに

 相変わらず何が書きたかったのかわからないまま、頭に浮かんだことを書き連ねてみた。
 ブレインストーミングのつもりで始めたnoteへの投稿も1年が過ぎた。だいぶ頭の動きも回復してきたように思う。漫然と過ごしてきたつもりは無いけど、動こうとしても行動に移せず、思考も働かなかった春先までの半年。もっと言えば、高所からの落下で頭を打ってからの不調の日々。ようやく動き出してはみたものの、足踏み状態でなかなか進まない。
 悔いの無い人生を送るためにも、もう少し足掻いてみようと思う。

https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3THGJB+604E56+Y92+5ML60I


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