フィクションとノンフィクションの狭間
幕末に活躍した「清河八郎」という人物がいる。
幕末と言えば「坂本龍馬」」やら「新撰組」やらを題材としたドラマ・小説などが多数ある。様々な人間が、それぞれの立場の正義を掲げ、新たな時代を切り開こうとする姿は恰好の素材なのだと思う。
旧体制の幕府方から描かれたもの、新体制の維新志士の側から描かれたもの…それこそ数多に存在する。
まあ実在の人物を登場させてはいるが、その内容は殆ど史実とは関係の無いものも多い。現に坂本龍馬の功績だと巷で思われているものは、実際には龍馬がやったことではないらしい。そのおかげで教科書から「坂本龍馬」の記述が消えるかもしれないとの噂。司馬遼太郎先生の歴史小説である「竜馬がゆく」での描写が、一部では史実のように信じられているとのこと。
実に創作の影響力とは恐ろしい。
話を戻して「清河八郎」である。
幕末のキーパーソンの一人として、わりと出番の多い人物ではあるのだけど、その描かれ方があまりよろしくない…というか、策謀家のように描かれることが多い気がする。主人公というより、その周囲にいる腹黒いヤツみたいな感じ。将軍の宮中警護のためと喧伝して浪士を集め、京都に到着するや、その浪士たちを尊王攘夷の先兵として使役しようとしたのだから。
当時、尊王攘夷の志士たちは同時に倒幕をも叫んでいたのだから、それでは全く目的に合わない。しかも、その浪士たちを集めるのに幕府から許可を取り付けていたというし、もうこれは危険人物と目されても仕方ないだろう。実際、幕府方の刺客の手に掛かり、江戸で敢え無く最期を迎えることとなる。
このとき集められた浪士たちの中で、幕府のために働きたいと京都に残った一群が、後に会津藩預かりの新撰組となるのだし、この人物がいなければ新撰組の話も始まらないのではあるが、やはりこの流れではどうしても悪者になってしまうのだ。しかも序盤で物語の舞台からは去ってしまう。
「清河八郎」の生まれ故郷では、彼を大河ドラマの主役に!という声が上がっているらしい。生い立ちから青雲の志を抱いて郷里を後にし、最後は志半ばにして没する…と。
ストーリーとしては、なんとなく成立しそうな気がする。第一、フィクションなのだから、実際の人物がどうであったかは然程問題では無かろう。
ただ主役に据えるには、ちょっとインパクトが薄いように個人的には思う。
「坂本龍馬」には風雲児っぽさが、「新撰組」には滅びの美学のようなものがあるように感じられる。
さて、「清河八郎」には何のイメージを重ねればドラマティックになるだろう。
真面目に幕末から明治の歴史などを研究している方には申し訳ないのだけど、無学な素人の戯言。笑って受け流してくださいまし。
「いやいや、実はこんな功績が」みたいなことがあれば、ご教示いただけると有難い。