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脳腫瘍の愛猫との1年間のお話 【愛猫の喪失と付き合う】

”ペットロス”という言葉に違和感を感じたので、”愛猫の喪失”としてみた。ただのペットじゃないという想いもあるし、家族や友人を亡くす喪失体験となんら変わりはないじゃないかという意味もある。

ともかく、私はこの辛さから回復しないと、脱出しないと、と思っていた。ゆえに、気持ちをゆったりもって過ごすことができず無駄に焦燥感に駆られていた。

愛猫べべが永眠した後、私が経験したのはアイデンティティ・クライシスだった。これは全く予期していなかった。仕事はあくまでお金のためにやっていたから、べべを失った後に何をしたら良いのか全く分からなくなった。べべと暮らす自分、べべを看病する自分が生活の中心となり、そのコアな部分が無くなったことで人生の核がすっぽり抜け落ちてしまったのだ。
愛猫を失って今まで保たれていた精神のバランスが崩れたのだろう。失ってからその存在の大きさに改めて驚いているし、本当に支えてもらっていたのだなとしみじみ思う。

その次に経験したのは死に対する恐怖。”死恐怖症”というらしい。これまでに祖父の死を経験していたが、息を引き取った瞬間、またはその直後を見たわけでは無かった。祖父の死の後も体調不良に悩まされたが、だましだまし働けてはいた。

とはいえ、私は更年期と呼ばれる世代であるため、これらの現象はただの中年の危機なのではないかと思う時もある。もしくは、更年期のタイミングに愛猫の死が重なってより一層ややこしくなっている状況かもしれない。

私は今、愛猫べべの存在無しで自分の生活の再構築をしている。12年間、共に歩んだべべは居ないのだから、この状況で生き抜ける自分にならないと。これからも私達夫婦の生活は続くのだから、生き抜かないと。

愛猫の喪失と”付き合う”としたのは一生べべの事は思い出すし、忘れることは無いから、その上でうまく自分の感情と付き合っていく必要があるなと思ったからである。


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