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谷崎潤一郎は小説より奇なり。

端的に言えば谷崎潤一郎は変態である。勿論もちろん誉め言葉である。だから声を大にして言う。谷崎は日本が誇るド変態である。「春琴抄しゅんきんしょう」は未だ芸術の域に踏み留まっている。「刺青しせい」は序の口。「痴人ちじんの愛」は小説の人物に立腹して本を床に投げ付けそうになった唯一の本で主人公の精神幻惑をさらけ出し読者を侵蝕する。「瘋癲ふうてん老人日記」は谷崎の妄想が爆発している。──女性崇拝、被征服欲、脚フェチを煮詰めて生まれた作品。「猫と庄造と二人のをんな」は題名が優先順位を示している。猫を溺愛した彼らしい作品。猫様の下僕を自認する人には身につまされる内容だろう。蛇足だがネット記事で下僕を超える表現を見た。「猫変態」(笑)。愛猫の死を悼み剥製にまでしてしまった谷崎に是非贈りたい称号である。但し彼に限らず夏目漱石、室生犀星むろうさいせい、内田百閒ひゃっけん大佛おさらぎ次郎、井伏鱒二、幸田文こうだふみ、向田邦子、池波正太郎、三島由紀夫…愛猫家の小説家は枚挙にいとまがない。猫と会話し、火鉢の加減をし、失踪に泣き、戦利品の雀に驚き、猫の写真を傑作と自慢し、犬派と喧嘩し、猫で暖を取り…因みに川端康成は犬派である。いずれにせよ文豪の名前と猫(犬)で検索してみると意外な面が知れ面白い。開発社編著「文豪の愛した猫」も併せて一読されたし。──さて、どっぷりと谷崎潤一郎にまったら彼自身を読んでみよう。多寡たかは在れど芸術には作者がにじむ。正統派?文学から進み読了を重ねるごとに谷崎に変態疑惑が生じた僕は「陰翳礼讃いんえいらいさん」を読んで彼の印象を中立に戻した直後に彩図社文芸部編「文豪たちの口説き本」で書簡を読み眩暈めまいするような乱高下に襲われた。お前矢っ張り黒か!小説を超えるエグさに悶絶必死である。むしろ谷崎こそが小説と言って過言ではない。現実と理想が近似である場合芸術の邪魔どころか相乗効果を及ぼす点で谷崎潤一郎は稀有けうな小説家だ。

一つ注意がある。もし、手にした「細雪ささめゆき」が角川文庫ならば上中下巻全てを読破するまで解説部分は飛び越しを勧告する。今は変更されているかもしれないが中巻の解説で非道いネタバレをされて下巻の興を削がれる恨事があった。頁数を均等にする編成都合も理解出来るが内容を吟味べきだ。文庫巻末の名文「角川文庫発刊に際して」を読む度に複雑な心境になる。

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