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川端康成と日本の学力。

フォローされると想定しておらず「御礼」設定を忘れておりました。欣欣然きんきんぜんとして姑息に設定。ありがとうございます。因みに画像は山種美術館に行った折に撮影可だった竹内栖鳳「斑猫」です。

竹内栖鳳「斑猫」

「四月は残酷な月」。本を読んでいたらイギリスの詩人トーマス・スターンズ・エリオットの長編詩「荒地あれち」5部の1「死者の埋葬」の冒頭が現れて書くべき記事を示唆された気がした。4月16日川端忌。詳細は不明だが川端自身が三島由紀夫宛書簡に「青葉のころは例年心身共にいけません」としたためた日付は昭和29年4月20日だ。

昔、住んでいた場所の近くに駄菓子屋と中古ショップをくっ付けたような胡散臭い店が在った。本棚は漫画本が席巻せっけんし小説が片隅に僅かに置かれていた。駄菓子買うついでに少し文学的な小説も読んでおくかと川端康成の「古都」を手に取った。学校推薦図書的印象を受けて其限それきり。大人になって「伊豆の踊子」を読んで水墨画に似ていると思った。文章に不思議な余白がある。続く「雪国」…此処ここまでは品行方正好みなノーベル文学賞対象といった風。川端文学の真骨頂は…艶冶えんやである。

三島由紀夫が随筆で薦めるに従い「眠れる美女」を読んだ。作者を疑う衝撃だった。れは三島がゴーストライターなのではないか?この設定を本当に川端が?──三島のゴーストライター疑惑は読み進めて晴れた。何処どこ模糊もことした文章は細密を愛する三島には書けない。同じ単行本に収められた「片腕」は下手な閨事ねやごと描写より余程なまめかしい。因みに三島の「仮面の告白」に触発されて書いたと言う「少年」などと淡い同性愛作品もある。

川端康成を調べて同じ懸念を持っていたと知った。戦後、彼は「これからは日本の教育が大変なことになるよ。占領軍はまず教育の形を変えさせて、日本をまったく変えてしまおうとするだろう」と御令室に語ったそうだ。戦争と教育は密接である。僕は三島由紀夫の文章に己の稚拙な文章との落差に完膚なきまでに叩きのめされて以来、言語に敏感になった。一定の年齢層をへだつ明らかな使用言語の多寡たかは何だ?これは学校教育に要因があるに相違ない。では、分水嶺は何処どこにあるか?まず疑ったのは第二次大戦でありアメリカの影響だ。邦国の学習要領は失われたと言っていい。理由は此処では割愛し更なる本流を探る。小説の大きな転換期である言文一致運動、これである。それまで主流としてあった漢文調の文語体を口語体にする明治時代と共にやってきた新しい文学の構築を促す運動で西洋文化を善とし旧態を悪とする明治政府の動きの一端──修学内容を減らし、その分発展的な試行に充てると云う目論見と不要を省く点で符合する。政府が強行した根拠は軍事力を誇った国の言語がたった二十六文字覚えれば済むアルファベットであった事。富国強兵が為に時間を有効活用為べしの考えであった。この愚行に僕がこうむった被害──本来学び得たはずの権利を剥奪はくだつされた怒りは当時の政府に向けられ又奮闘した学識者達に依って鎮められたのだった…。果たして海外式の教育は日本人に適合するものであったのか。日本人らしい芸術的な和算も失われた。合理主義の無言の数学教育が僕は大嫌いだ。戦争は文化を破壊する。此れだけは確かだ。

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