法華経とイエス・キリストエピソード1
仏教では,仏陀入滅後,経典テキストを確定するために「結集」(数百人の僧が集まって経典の内容を議論する会議)が数回開かれたが,その後はかなり自由に経典テキストが創作された。経典テキストの創作が自由ならば解釈も自由。だから,ユダヤ・キリスト教の言説に起こったような正統・異端の議論をそのまま単純に仏教に当てはめることはできない。
法華経創作の背景には,当時のインドの社会経済事情と仏教教団が抱えていた問題がからんでいる。社会が複雑になれば,人の悩みも複雑になる。そんな人々の悩みに対して,仏教はどう行動すべきか。民衆に対して新しい仏教をアピールする必要性を,伝統的なグループ「上座部」から分離した改革派の「大衆部」は痛感していた。
しかし,大衆部は「戒」(仏教信者の行動規範)のみならず,上座部の経典(正統・保守系)を使用することはできない。そこで,大衆部は思案した。つまり,読んでいてあまりメリハリがなく,面白くもない上座部の経典よりも,「情感に満ち満ちた,きらびやかな描写,臨場感,躍動感溢れる言説でマーケティングしたほうが,仏教を普及させるという大義に沿う」と考えたのだ。
そこで、大衆部の僧らがあるものに影響を受けたと考えられている。それは,原始キリスト教の福音だった可能性が高いのです。
その証拠を検証していきます、
その前に、前知識として法華経完成の同時期に、イエス・キリストの弟子であったユダ・トマスがアジアの戦勝活動を行っています。
これが、第1番目の証拠です。