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依存症からの解放エピソード3 依存症の霊的問題


聖書の至るところに偶像礼拝する人々の話が出てきます。「偶像」というと、どんなものでも神よりも高い価値を置くものは、すべて偶像です。 

これについて十戒にはこうあります。「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」(出エジプト記 20章3節)

神は、依存と偶像礼拝という二つの概念が結びついていることを経書のみことばを通して語られます。結局、依存は霊的な問題であり偶像礼拝の問題でもあります。

第1に、依存と偶像礼拝は、神以外のものや人に支配されたときに起こります。何かに依存すると、必要以上の価値や重要性を依存の対象に見いだします。私たちの主権者は神のみであり、他の何ものでもありません。

第2に、依存と偶像礼拝は、私たちが何かに支配されている状態です。何か、または誰かに服従しているなら、すでに依存や偶像礼拝をしているかもしれません。そして人に受け入れられようと意図的に行動を変えることも、依存と偶像礼拝の兆候です。

第3に、依存と偶像礼拝は神以外のものを拝み、讃えることです。あなたは、どんなことに大半の時間を費やしていますか?  何にお金を使っていますか? 労力を惜しまず、努力していることは何ですか? その答えが依存や偶像を見分けるのに役に立ちます。

依存は、有害だとわかっていても必要を満たし安らぎを得るために、繰り返し、習慣的に、あるいはパターン化された方法で神以外の何かを優先することです。

逆境やストレスに直面したとき、どうしますか? どこに安らぎや慰めを見いだしますか? その答えが偶像であり、依存の対象なのです。

※偶像礼拝

聖書は、人間が想像して造り出した神々、自然界(太陽や月、海や山などあらゆる存在や事象)を神としたり、自分に見えて触れて安心できる神々を刻んだり鋳造したり描いたりして、それらを礼拝することを「偶像礼拝」と呼び警戒を促します。

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