見出し画像

この戦争は、どう始まったか -PMC(1)

(4,614 文字)
露独立系メディア、メデューサ :ワグネルの傭兵が語る、露軍のオンボロぶり

「アプリコット」

「アプリコット」というコールサインの、この傭兵の戦争は1日早い2022年2月23日の夜に始まっていた
12月中旬、「アプリコット」はPMCレダット «Редут»のリクルーターと打ち合わせをするため、あるカフェに来ていた
(「レダット «Редут»」のホームページはもう閉鎖されている)

http://redut-security.ru/kompleksnaya-bezopasnost

「新年を迎える前に(ドンバスに)ちょっと行こう』と私たち(隊員候補)に声がかかったんです」と傭兵は振り返る
 「いや、祝祭日は家で祝う(12月25日~1月1日)」と言って私は立ちあがりました
その結果、アプリコットがルハンスクに到着したのは1月になってからだった
その時にレダットと契約を交わした
(他の傭兵偵察部隊も同じ期間に戦争準備をしていたことを複数の情報源で確認した)
その1ヵ月後、「目の前で戦争が始まった」とアプリコットは嬉しそうに振り返る

2月23日の夜、彼の部隊は偵察に出かけた

「私たちはセベロスキー・ドネツ(ドネツ川のこと。露国境付近では2014年以降のドンバスの境界ラインとなっていた。下の二枚の地図を参照。)を渡河しました
完全な暗闇の中、私たちはウクライナ軍の後方へ回りました
スタニチア・ルハンスカ(ドネツ川を隔ててルハンシクの北にある街)を這いずり回りました」

2月23日時点の支配地域図(赤が親露派支配地域)

「2日間、氷雨が降ってました
その間、地面に伏せて、伏せて、伏せて、暗視ゴーグルに目が疲れました
思い返してみると、『外科医(この時の「アプリコット」のコールサイン)』はウクロップ(ウクライナ人に対する蔑称)を三人も殺せなかった」

「偵察分遣隊がどんどん奥へ進んで行きました
ボロテンノイエ村を越えて潜入し、敵の位置を把握し、すべて記録していたのですが、23日の午後に緊急脱出の指令がありました
脱出して、データを渡して、始まりました
最初の前線突破を完全に準備しました
大雑把に言えば、戦争を始めたのは私たちです」

戦争の開始の数時間後、自称LNR(ルハンシク共和国)の当局者が、スタニツィア・ルハンスカが彼らの支配下に入ったと発表した
その2日後、ウクライナ大統領府もこれを認めた

3月初旬、ウクライナ北部にいたアプリコットの部隊は、ウクライナ軍の要塞化された検問所に出くわした
戦闘が繰り広げられた
「あの検問所さえなければ...雪はすでに溶けていて、仲間の死体がまだそこらへんに転がっていた
穴の中に戦車を隠したのですが、砲撃が命中して、顔にマッチ箱ほどの大きさの破片が当たった」

その頃、戦争はすでに数週間続いていたが、ワーグナーPMCの戦闘員は「まったく前線にいなかった」とアプリコットは回想する
アプリコットは、8年前にドンバスで戦ったロシアで最も有名な民間軍事会社が、なぜまだ最前線にいないのか、最初の傷を受けた後はもう気にならなくなったようだ

ワグナー(ワグネル)

傭兵戦争、オリガルヒ、エフゲニー・プリゴジンがプーチンの寵愛を取り戻すために露のウクライナ侵攻は「秘密動員」になった
プリゴジンは、政治的な争いや個人的なトラブルで、プーチンから信頼される貴重な地位を失いかけていたが、ウクライナでの戦争が進む中、露国防省は傭兵と軍隊の境界を徐々に無くしていった

露軍隊は、ワーグナー・グループ(プリゴジンが出資する民間軍事会社)が構築した募集ネットワークを実質的に徴用したが、2022年2月24日のウクライナへの最初の侵攻について、ワグナーの決定権をほとんど排除した
しかし、戦場での露軍や他の傭兵集団の成績があまりに悪かったため、モスクワは最終的にワーグナーの正規軍を呼び寄せ、プリゴジンは大統領の機嫌を取ることができた

ワグナーの成り立ち

露軍幹部は2010年、自分たちで動かせる傭兵部隊を作ることを思いついたと言われている
統合幕僚監部は、軍に食糧を供給する政府との契約から得た資金を流用し、オリガルヒのエフゲニー・プリゴジンに運営を任せることにした
クラスノダールにある情報総局第10旅団の近くに新会社の拠点を置いた
ワグナーグループは従来の傭兵集団同様、露軍のインフラや装備に完全に依存していたが、独立した人材採用ネットワークを持っていたと同社に近い情報筋は語る

「彼らは薬物検査もせずに採用している 」

ウクライナ侵攻に先立ち、傭兵集団をより直接的に管理するため、多くの取り組みの一環として、国防省はワグナーが使っていたオンライン・ネットワークの求人広告を掌握した
同社経営陣に近い人物は「基本的に、『有名なワグナーブランドが必要だが、手続きは自分たちでやるつもりだ』と言った」と語る
そして、露軍が採用基準を引き下げたことでワーグナーの評判を傷つけたという

こうして集められたワグナーグループの傭兵たちがウクライナの最前線に到着したのは、2022年3月末になる
これより数カ月前、露がまだ侵攻の準備をしていた頃、エフゲニー・プリゴジンの政治的影響力は低下していた
実際、複数の関係者の語ったところでは、彼は大統領府や露国防省からの支持を失いかねない状態にあった
「2月24日の前夜、プリゴジンは参謀本部のに連絡を取ろうとしては失敗していた
彼は侵攻が始まった後、ようやく連絡することができた」
と、Bellingcat(OSINTグループ)のエグゼクティブディレクター、クリスト・グローゼフは言う

この問題に詳しい別の情報筋は、プリゴジンは2月の戦争開始前に、プーチンからの直接の命令ではない、ウクライナへの傭兵動員命令を拒否したのだと言っている

セルゲイ・キリエンコ

プリゴジンは、プーチンの内政の司令塔であるセルゲイ・キリエンコが、サンクトペテルブルクのアレクサンダー・ベグロフ知事を支持していることが特に気に入らないのだと、クレムリンの情報筋2人と、オリガルヒに近い情報筋2人が証言している

プリゴジンとベグロフの確執は、昨年冬にプリゴジンがベグロフをサンクトペテルブルク州政府が雪やゴミの撤去を怠っていると批判し始めたことで、公然の論争になった
(プリゴジンはレニングラードのバンドリーダー、セルゲイ・シュヌロフを雇いベグロフを嘲笑する歌を作って演奏させたとさえ言われている)
この衝突には、コニュシェンナヤ広場の歴史的な厩舎を改修するための有利な国家契約や、プリゴジンが推す地方議会候補者の2021年の投票権など、金と政治の両方が絡んでいる

ウクライナの戦争にもかかわらず、プリゴジンは引き下がろうとしなかった
2022年7月5日、プリゴジンは自身が支配するメディアのインタビューで、ベグロフを「何も成し遂げようとしない」「暴君的な知事」と呼んだ
最近の、プリゴジンの主な不満は、フィンランド湾に面したゴルスカヤ観光地区の開発に関する国家契約である
昨年、プリゴジンの関連企業がサンクトペテルブルク当局と契約を結んだが、当局は最終的にガスプロムとつながりのある企業を採用し、観光地内に製造工場を建設するというプリゴジンの計画を拒否したのだ

また、プリゴジンは、ショイグ国防相と口論になり、国防相はシリアで効果のない「時代遅れの方法」を使っていると非難している
一方、ショイグはプリゴジンの食糧配給サービスに不満を持っていると言われており、そのため、近年、プリゴジンは軍の多くの契約を失っているようだ
(プリゴジンと露国防省の代表者は、これらの疑惑についてコメントを避けている)

シリア

2018年2月にも、ワグナー・グループがシリアのデイル・エズゾールのガス処理工場を攻撃し、数十人の露人傭兵が殺害されるような米国の大規模な対応を誘発したことでプリゴジンは露軍最高司令部を激怒させている
ベル紙のジャーナリストによれば、ワグナー・グループが露国防省に無断で行動し、同地域の「解放された」施設から生産される石油とガスで得られる全収入の4分の1をワグナー・グループが得るという私的契約をアサド政権と交わしていた

レダット «Редут»

侵攻初期の数週間、ウクライナで戦っていた露軍傭兵のほとんどは、「レダット «Редут»」 の傭兵たちであった
このグループから数百人の戦闘員が、「フーリガン」「ウルフ」「アックス」といった異なる部隊に配備されていたことを、5人の情報筋から確認している

「ルハンスクとドネツクのすべてが、レダットの部隊になっていた
私たちがハリコフ方面で活動している間に、他の「赤備え」がベラルーシ経由で入ってきて、キーウ方面に移動していった
そして、私たちはお互いを知らない
ここには、さまざまな兵士がいた」

「ハルキウのレダットの部隊がルハンスクに戻ったとき(3月21日と22日)、数時間途切れなく歩いていた
UAZ(トラック)、バス......長い車列が続いた
「イリモフ」、「フーリガン」、「アックス」、部隊は違っても、数百人が、まさにレダットの兵士たちだった」

「イリモフツィ」、「ウルフズ」、「フーリガンズ」、「アックス」、「マリーンズ」…「特別作戦」以前は海外の施設警備のみに従事していたPMCレダットのこれらの部隊が、2022年春、直接戦争に関わる大部隊に成長している

レダットの戦闘員2名、ベテラン1名、他の傭兵組織に属する2名から証言を得ている
(合計13人の情報筋から最前線の様子を聴くことができた)

これらの部隊は、開戦前に信じられないほど慌てて急編成され、ウクライナに送られた
人員を埋めるために、レダットは、過去の面接で不合格になった者、あるいは採用したものの解雇された者など、さまざまな理由で長年ブラックリストに載っていた元兵士や将校を採用した

イワン・ミヒャエフ

その中の1人が、元中隊長だったイワン・ミヒャエフである
彼は、2020年からレダットのブラックリストに登録されていた
元分隊長だったが、不祥事を起こしてPMCを解雇された
「ドアをバタンと閉めて出て行ったと思ったら、また突然指揮官になったんです」と、「北方軍」で行動を共にした傭兵がその驚きを語った
露国防省との協定により、彼は急遽復帰することになった
一癖あるとはいえ、プロの将校だからだ
「彼はいつも細部まで深く考えすぎていたんだ、時々ね
人は奉仕に過剰な熱意を示すことがある」

ミヒャエフは、ベラルーシ経由でウクライナに入り、キーウを目指した
「彼らは第45連隊(2015年以降-第45旅団)とイワノボSOBRに合流した」
と、この出来事を知る関係者は語る
(SOBRはロスグヴァルディアの特殊部隊)

そして、その直後、傭兵たちは味方からの銃撃を受けた
「並走していた2つの(ロシアの)隊列が互いに発砲しあった
お互いを敵と勘違いしてしまったのだ
どうやら、コミュニケーションも調整もなかったようだ」
と、ミヒャエフの元同僚は語る

ミヒャエフは負傷して露に戻り、3月20日、手術台の上で「血栓のため」死亡したという
ドンバス義勇軍連合と一握りの友人たちがSNSで訃報を伝えた
彼は3月28日に埋葬された
ミヒャエフの死に関する情報は、ドンバス義勇軍連合(ミヒャエフはこの組織のメンバーだった)や彼の知人からの報告によって確認され、SNS上でも複数の死亡記事が発表されている

(続く)

最後まで読んでいただいてありがとうございます😊
どうか「スキ」「ツイート」「シェア」をお願いします!
できましたら、感想をコメントで一言いただけると、ものすごく励みになります😣!😣!

サポートしようと思って下さった方、お気持ち本当にありがとうございます😣! お時間の許す限り、多くの記事を読んでいただければ幸いです😣