強制連行された子供 -セルヒー(1)
12月30日 ウクライナメディア:(4,110 文字)
「助けて」強制連行され、ウクライナに帰国した十代の子供の話
12月下旬のオンブズマン事務所の報告によると、16歳のセルヒーはウクライナに戻ってきた
3月、当時15歳の少年は占領地に強制連行され、ロシア連邦に送還された後、ロシアの里親に預けられた
ロシアのオンブズマンが進んでロシア・パスポートの強制配布を進めたのだ
逆にそのお陰で、セルヒーはウクライナに戻ることができた
この記事の著者は、ロシア連邦に滞在していた頃のセルヒーについて調べ、どのような経路をたどってロシアにたどり着いたのか、占領地で誰がセルヒーの国外脱出に貢献したのかを明らかにすることに成功した
そして、ようやく調査の一部を公開し、セルヒーの強制連行の様子を伝えられることになった
セルヒーの身元については、ほとんど何もわかっていない
名前と、マリウポル近郊に住んでいたこと、モスクワ地方のロシア人の里親に預けられたことくらいだ
2月24日以降に強制連行されたウクライナの子どもたちについてロシアが作り始めたビデオ、新しいロシアの「養父母」を美化するプロパガンダ・ビデオの中でセルヒーを見ることができる
このビデオでは、16歳のウクライナ人、セルヒーがロシアに渡った経緯は一切説明されていない
ビデオは「幸せな右の家族」とその「偉業」を印象づけるように編集されている
11月、我々がセルヒーを発見できたのはこのビデオのおかげだった
他に利用できる仕組みやリソースは無く、インターネットの力だけで彼を見つけるのにはかなり時間がかかった
しかし、セルヒーの状況は不幸中の幸いだった
調査やこの話の詳細については、人々のセキュリティ上のリスクから公開することができない
「ウクライナに帰りたいんです、助けてください」というのが、この子の最初の言葉だった
おかげで、彼の強制連行、ロシア人家庭への縁組、ロシアでの生活、ウクライナへの帰還の物語を知ることができる
注:ここに記載されている出来事はすべて、セルヒー君と彼の親族がウクライナで提供した証言に基づくものですが、安全保障上のリスクから個別に名前を挙げることはできません
セルヒー、貴方は誰?
2022年4月、セルヒーは16歳になった
セルヒーの家族はマリウポリの近くに住んでいた
少年は両親を亡くし、2021年、15歳のときに孤児になった
彼のほかにも、何人かの兄弟がいた
セルヒーは末っ子だった
2021年の夏、セルヒーの姉の一人が、機械工学を学ぶために大学に入ろうとしたとき、セルヒーの親権を得ようとした
しかし、地方行政の後見窓口は、なぜか姉の弟に対する永続的な親権を拒否し、大学の理事が親権を持つと主張したという
この理事、施設長のもとには、セリヒーのほかにも親のいない子や障害のある子が10人以上いた
侵略の始まり
セルヒーによると、本格的な侵攻が始まった2月24日、理事は預かっていた子どもたちをウクライナの支配地域であるザポリジャーに連れて行き、そのまま姿を消したという
「避難してきた少年の一人が無事だとメールをくれたが、理事のことは何も分からなかった」とセルヒーは言う
しかし、セルヒーは、この子どもたちと一緒に避難していなかった
セルヒーは大学生の一人と一緒に家に帰ろうとし、なぜか誰にも止められなかったのだ
すでに占領されている地域を、真冬なのに、彼らは二人だけで自宅まで50キロ近くを歩くことにしたのだ
セルヒーはロシア軍の車両が動くのを見ており、砲弾が爆発する音も聞いていた
(注:セルヒー以外のセルヒーの兄弟たちは「理事」とは関係ないので、マリウポリに留まっている人が複数人いたのだと推測される。おそらく、セルヒーは、兄弟たちの元に戻りたかったのだろう。)
「ただ歩いていただけです
何も気にせず、ただ家に帰りたかったのです」とセルヒーは話す
しかし、休むために隠れる場所も、暖を取る場所も泊まる場所もなく、この判断が危険すぎたと悟ったとき、もう、引き返すには遅すぎた
「できることならウクライナの支配地域に戻りたかった」
二人は二週間も家にいられなかったという
三月の最終週、ロシア軍は、避難の名目でマリウポリから人々を郊外に強制的に連れ出し、そこでロシア行きしかないバスの「出発」のために、ただちに登録させた
人々にはどこに行くかの選択肢は与えられなかった
この作業は、当時セルヒーが滞在していた集落で行われた
後に、セルヒーは自分の親族たちも全員強制連行されたことを知った
拉致・強制送還
セルヒーがマリウポリに戻って二週間後、地元の人たちによく知られている警察官が家にやってきた
その警察官はセルヒーの親族たちに、セルヒーを病院に連れて行き、健康状態を調べなければならないと話した
セルヒーには後見人がいないのだから、地方行政の後見局(地方行政の未成年者向けサービス)の命令に従わなければならないという
親族たちは、セルヒーは家にいないと答えた
その警察官はその帰り道でセルヒーを見かけ、声をかけた
セルヒーは、時々この警察官が学校にきて、子どもたちに交通規則を教えてくれていたので、この人と知り合いのようなものだった
「後見人がいないのだから、一時的に病院に連れて行って、誰が面倒を見るか決めてほしい」と言われました
私は、自分には保護者がいること、理事がいることを伝えた
しかし、警察官は言った
「ここにはいない
病院に一緒に行きましょう
後見局(地方行政の未成年者向けサービス)からの命令です」
と言ったという
なぜ病院へ?
その地域には特別養護老人ホームがなかったため、占領軍によって病院やその他の施設が、セルヒーたちの一時滞在先として利用されたのだ
ロシア人による子供の強制送還の仕組みとして、占領地ではすでに同じようなセンターが機能していた
なぜ、セルヒーは警察官と一緒に行ったのだろう?
少年は、自分の村がすでに占領されていることを自覚していた
そして、その警察官を危険人物とは認識していなかったからだ
「それまで酷い扱いを受けていなかったので、ロシア人よりはマシだと思った」とセルヒーは言う
もちろん、セルヒーも当時、その警察官がウクライナ当局のために働けないことは理解していた
それでも、セルヒーは断ることができたのだろうか?
それはありえないことだ
その時、占領地のあちこちで子供たちが集められていることなど、セルヒーには知りようがなかった
こうしてセルヒーは数日間病院に収容された
そしてある日、地域の後見局の人たちがセルヒーを訪ねてきた
「『近くに家族がいる、なんなら親族に会いに行ってもいい』と言われました
そして、彼らがドネツクに送られたことが判明しました」
占領当局の子どもたちの強制連行に協力した「後見局」の職員から、事後的に偶然、セルヒーは親族たちについて知ることができた
職員は、占領前から勤務していた人だった
ドネツクの病院では、ロシア占領地から連れてこられた他の子どもたちが収容されている別の病院に、再び、一時的に収容されたという
「親を亡くした子供たちのための孤児院やその他の施設は、他の占領地から連れてこられた子供たちですでにいっぱいになっていた」とセルヒーは言う
セルヒーはその施設に「一時的に」2カ月近く滞在した
その間に、彼の唯一のウクライナの身分証である出生証明書は「紛失」していた
「『出生証明書はどこにあるのか』と聞くと、モスクワに送って、そこで紛失したといわれました
そして、私はウクライナのパスポートを持っていませんでした
16歳になったときには、すでにロシアの病院に入っていました」
注:16歳になったら単独でパスポート取得申請ができる
ドネツクでは、砲撃のためここにいるのは危険だと言われ、ロシアと国境を接するイエゴリエフスク市の孤児院に保護された
(注:イエゴリエフスクはモスクワ近郊の都市であり、国境沿いに同名の市は無い。イエゴリエフスク市の予算で運営される孤児院という意味かもしれないが、事実は不明。)
「後で返すから、と言っていたんですよ」とセルヒーは振り返る
2カ月もこの地に拘束されたのは、ロシアで起きていたことが関係しているのかもしれない
強制送還が始まり、ロシアのオンブズマン、マリア・ルボヴァ=ベローヴァが強制送還されたウクライナの子どもたちの養子縁組を始めたとき、ロシア人たちは「そのような子どもの養子縁組はロシア国内でも違法である」という問題に直面していたからだ
マリア・ルボヴァ=ベローヴァは、他国籍の子どもとの養子縁組を合法化するためのロシアの法改正を求めるロビー活動を開始した
彼女のアイデアは、ロシアの政治環境下でも多くの議論を呼んだ
2021年に実施されたロシアのある社会調査によると、他国籍との混血により、スラブ系の外見を持つロシア国民は50%を切っており、ロシアのプロパガンダはこれを問題視している
(Eastern Human Rights Group と the International Institute for Strategic Studies の報告書の結論)
強制送還されたウクライナ人を犠牲にして人口問題を解決するのは、1939-45年の悪夢のようだが、現実に起こっている事だ
そして、セルヒーのようなウクライナの子どもたちがロシアの孤児院に引き取られたその時、ロシア大統領は自ら、ウクライナの子どもたちを養子にする際の障害を取り除く法律にサインしたのであるこうして、養子縁組のプロセスは、実際には恐ろしい犯罪の参加者である「英雄の両親」を美化するプロパガンダ・ビデオと連動して始まった
そして、ロシアの孤児院に滞在して1カ月後の2022年夏、ロシア人夫婦の「新しい家族」に、養子としてセルヒーは迎えられた
初めてセルヒーと連絡が取れた時点で、この家庭に入って4カ月が経っていた
その前に、セルヒーは自力でウクライナに帰るための支援を探していた
「でも、パスポートを持たずに行くと、警察に止められてしまうんです」
(つづく)
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