LGBTQが話題にすらならなくなったらいいのに。

私の親友はLGBTQのどれかに当てはまる。
個人的には本当にどうでもいいことだし、人様を枠組みに当てはめてああだこうだ言うのも好きではない。

親友とはもう20年以上の付き合いになる。
しかし、LGBTQのどれかだと聞かされたのはごく最近のこと。

正直、なんとなく分かってはいた。
けれど、わざわざ「あなたってそうなの?」って聞くことでもないし、話したければ本人から言ってくるだろうし、何よりどうでもよかったので、その件について触れることはなかった。

どうでもいい、というと冷たく聞こえるかもしれないが、心底どうでもいいのだ。
例えると、椎茸の好き嫌いレベルでどうでもいい。
椎茸が好きなんだと言われて

え‥‥?椎‥‥茸‥‥好き‥‥なの?

と驚く人はあまりいないだろう。
大抵は「へぇ。そうなんだ」の一言で済むのではないかと思う。
それ以上でもそれ以下でもない、ただの「へぇ。そうなんだ」である。

親友にカミングアウトされたあの日。
ファミレスで食事をしていたのに、話があるからとわざわざ人けのない公園の駐車場に連れていかれた。

「あなたに、言わなきゃいけないことがあるの」

と、言うので、命に関わる病気でも患ったのかと思い、血の気が引いた。
無力な私に何か出来ることはないかと考えた。

ふたを開けてみればLGBTQのどれかに当てはまるという、本当にどうでもいいことだったので、第一声は
「なんだそんなことか」
だった。

「え、それだけ?」と親友が驚いた顔をしたので、
「へぇ。そうなんだ。って思うけど、だからなに?って感じじゃん?」
と、返事をした。
そして何か知らないけど面白くなって二人でケタケタ笑った。
あんた強すぎるとか、だからなに?って言い方冷たすぎない?!とか言われた気がする。

「教科書通り」の対応ではなかったのかもしれないが、私は私が感じたままのことを伝えた。
20年以上付き合ってきた親友と人対人として向き合っただけのことなのである。


親友は口が悪くて、勉強が出来なくて、金遣いが荒い。
だけど、本当は物凄く繊細で優しくて、めちゃくちゃ賢いことも知っている。
生まれ変わっても絶対また友達になりたい。
要は親友の人柄が大好きなのだ。


誰かを思い出すとき、その人の性的指向が真っ先に思い浮かぶだろうか?

あの人は誠実な人で~
あの人は努力家で~
あの人は穏やかで~

といった具合に「人柄」こそ語られるが、性的指向については触れることすらないだろう。
さらには、性的指向が原因でその人の人柄に対する評価が変わることなどまずないだろう。
誠実さは性的指向に左右されるものではないし、努力家も穏やかさもそれとは全く関係ないからである。

私がどうでもいい、だからなに?と言った理由は以上だ。 

親友にも言ってやりたかった。
何をびくびくおどおどしてるんだと。
20年以上付き合った私にただ自分の性愛について話すだけだろうと。
なんで人がいないところまで連れていって、なんで泣きそうな顔してんの。
おかしいでしょ。あんたはあんたの好きなものについて親友に話すだけなんだよ。
何気にしてんのバカじゃないの。堂々としなよ。
と、言ってやりたかった。
私は気にしないから。
だが、親友をこんな風に萎縮させてしまう空気感も確かに世の中には存在しているのだろう。

気にしないからガンガンカミングアウトしてね!と言うつもりは毛頭ない。
する・しないはその人の自由であるからだ。

ただ、LGBTQについて積極的に議論したり、LGBTQとはどのようなものか理解を求めたりする必要がない世の中になればいいなと思っているだけなのだ。

だって椎茸の好き嫌いについて議論をする人なんていないし、椎茸の好き嫌いについて理解を求める必要を感じている人なんていないのだから。

椎茸が好きな人も嫌いな人も「当たり前に」存在する。それが世の中の認識だ。

椎茸すきなんだ。へぇ。
椎茸きらいなんだ。へぇ。

こんな具合に性的指向に関しても「へぇ」で済む世の中になればいいと私は心の底から願っている。

「気にする」「気にしない」なんてことを意識せず、「当たり前」の範疇にすっぽりと収まってしまえばいい。





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