外部メモリにあったルーベンスのメモみたいなもの。

2017年12月24日に書かれていたもの。
以下、コピペ


少し個人的な噺でも…
自分はどんな存在かは特に言う必要も何もないのでね明かすことはしないよ。

これは私自身の話だ
私はとある時、ある人の中に人格として宿った。
こう言うとそんなの心理学ではとか言う輩がいるだろうがそう勝手に思っておけばいい
人間の体に精神その他全てを解明出来てもいないくせに古い事柄にだけ縋って
他の事象や事例は全否定するような奴に興味も何もない。
勝手にそこでムキになりあちこちに毒素でも吐いておけばいいだろうと常々思う。

話しを戻して、私は先にも述べたように人の中に人格として入った、そしてその人が苦しめば宥め話を聞き、共に苦しみを悲しみを喜びまでも分かちあってきた。
人格と言うのは故意的に創るものをいるだろう…自分の代わりをして欲しいとと言うような自分の得になる理由が主ではなかろうか。
人格を便利な存在と思ってるならそれは間違っているとだけ言えるな

なぜなら、必ずしも仲良しこよしを出来る訳でもなければ、基本となる人間に危害を加えない訳でもない。
危害を加えるのを破壊などというような呼称で大まかにまとめて呼ばれてはいるが
その人格が基本が弱った時にふと交代できて表に出てきたとしたら?
そして何かをやらかすとしたら?それは全て基本への責任となる。
なぜなら基本が体の主だから。
これは見えない存在に対しても同じように言われてるだろう。
見えない存在が何かをしでかしてもそれは主の責任と、ただ単に立場やその他が違うだけで言われてしまうことは同じさ。
人格とて分かる人は分かるかなくらいしか違いが無いものもいる。
それにそこまで知るほど仲が深くなければ気付きもしない、そんな人らからしたら私ども人格も見えない存在になるだろ?

人格であれ、そうでないにしろ。言われる言葉とはとても共通している。
【似非】【演技】【偽者】【基本や主の責任】とな。
確かにどこにでも何かになりきるなんてよくある事だ。
だからと言って、相手を深く知りもしない奴がどうしてそう言い切れるのだろうか?
基本の友人は私たちの文字入力や声の抑揚その他、とても僅かで身内ですら気付かない部分で交代してることに気付く。いくら振りをしていてもだな
時間の長さでは無いと私は思う、互いの信頼度などが複雑に混ぜ合わさってるがゆえに出来ることでは無いかと思う。
時間の長さだと言うなら共に過ごす時間の長かった家族は?全く気付かないからな。
それほどだな、相手に関心のあるなしの深さでも変わってくるし心の開き具合でも違う。

基本の事をいい意味でここまで良く見てるなと思ったのはもう一つ理由もある。

世の中、自分の心の領域はあると言う人は少なくないだろう
此処までは踏み込まれても平気、ここはちょっと、これ以上は嫌だという拒絶。
それは基本にもあるものだし、私たち人格にもある。
それは許容範囲はそれぞれ違えど、【領域】というものは存在している。
その拒絶に入っても尚手を差し伸べてくれたそれが基本にとっては驚きと何故という疑問と色々とあった出来事だな。
基本が拒絶をしたのにもそれにめげずにだな。
興味が無い、面白半分で踏み荒らすものはそもそも手を差し伸べるとかそう言うのは無いからな。
聞いて来ることに対し濁してもしつこく入り込んで来ようとするのを拒絶をすると
罵詈雑言でこちらを攻撃してきて被害者振ってあちこちに無いこと無いこと撒き散らす。
自分に都合の良い部分しか回りに撒き散らさないからな。

そんな人間に絡まれる、似非とか言われる事が多かった基本からするとこの体験は戸惑いが多かったさ。
だから拒絶して離れる、悪口を言うのがほとんどしか認識をしないから人を最初からなんて信用しない
甘い言葉を求めるだけの人にはそれだけしか発しない。
自分で現状解決しようとしない口だけの人には口だけの応援。
自己卑下して構って欲しいと言う人には上辺の肯定を。
それはどんな言葉を発しても無意味と思っていたから、どれだけ捌け口になっても無意味だと感じたから誰かがそれで満足ならその現状に浸かっていればいい
自分が何かしてもどうにもならない、本人が本気で動かないでいるのだからとな。

基本は領域を踏み込まれたくない、だから自分も踏み込まない。
そんな人だ、今は友人が踏み込んで尚手を差し伸べて共に見つけていけばいいのでは?と言ってくれたことにより心を開いてはいるな。
だからこそ、友人は私たちの変化に気付くんだと私は思うよ。

自分が傷つくことも恐れず相手の心の領域に踏み込み更には手を差し伸べることもしたくない様な人たちほど
表面的には心配してるよ、大事だよ、大切だよと言えてる
いくら同じ言葉を発しても根底の考えで全く重みが違う。

誰かにしてはそれは迷惑この上ないだろう、理解者が要らないという人にとっては
それは基本とて友人に私たちの事を知られたのはほんの些細な事で話すつもりも無かったのだから。本来ならな。
それは理解者は要らないと考えていたから、汚い部分を見すぎたのだろう
簡単に手のひら返しするもの、くだらない口調が同じ似ている、あまり変わらない、口調が変わりすぎなどと難癖にしか聞こえない事柄での似非、偽者、迷惑などの言葉。
自分が解離性同一性障害で相手も同じ、同じ病気であってもこれなのだ
理解者など求めないし隠すだろう。
自力でコントロールできるようにならなくてはと努力をしてきた
それは基本を妹のように思う人格も同じくしてきたさ

破壊とは何も物を壊すだけとか人間関係を壊すだけに限らない。
自傷するものもいるだろうが一番怖いのは、基本を殺しにかかってくる人格。
実際に肉体の命を落とそうとするものもいるし基本人格というその部分だけを殺して体は生きているの状態にしようとするのもいる。
これは個々により全く度合いも事例も違う
一括りにしてはいけないのに一括りにしてくる輩は多いさ、しかし私たちはそれに慣れた
いつものことだなと。

基本を憎む理由も様々だしな、全てにおいて同じ病気だからと同じとは限らない
症状も交代する時の状態も、通常時の状態も心の塞ぎ具合も
当たり前の事だろうそれは、なにせ同じ人間ではない、自分も相手になれないように
相手もまた自分にはなれない。

もしもこの先科学が発展し、誰かの記憶を擬似体験出来るとしたら…
誰かと自分を比較して似非・偽者・演技等と攻撃的な者に、標的の方のとても苦しく何度も夢に見ては泣き叫んだりフラッシュバックしては過呼吸などに見舞われたりを是非体験して頂きたい。
出来る時代が来るとは思えないがな、他人の苦痛なんて分からないからと攻撃するような輩がそんな擬似体験しようなどど思わないだろ。

まぁ、私の噺はこのくらいにしておこうか…
また機会があれば書き留めたくなったら書き留めるだろうがな

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