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冥王星みずがめ座入り前に起きた!超スペシャルな出来事④「悪役」

母親のようになりたくないという執着心が
自分の子どもへの罪悪感に繋がっていたことに気づいたわたしは、
さらに母親になった自分の今を見つめてみた。

わたしは、子どもへの罪悪感からか、
いつでもわかってあげられるお母さん。
子どもへの愛がちゃんと子どもに伝わるお母さん。
そういうお母さんでいたいと思っていた。
子どもに絶望感も孤独感も絶対に味わわせたくない。
そんなお母さんにだけはなりたくない。
そう思っていることに気づいた。
それ自体は悪いことじゃないし、
それができれば子どもにとっては素晴らしい母親だと思う。


母親がそういう人だったら自分の人生が変わっていただろうか。

変わっていたかもしれない。

でもそれが、わたしの本当に望む人生かはわからない。
もしそうだったら、わたしは違う母親を選んでいたに違いない。
そういう親じゃないってわかって生まれてきたのだから。
やっぱり幼少期のこの孤独感も絶望感も、
そして今こうして自分を紐解く時間も、
すべてが必然だったのではないかと思った。

わたしは、母親に対して、
「あなたのせいで、わたしは孤独が辛かった。」
という復讐心みたいなものを持っていたことを思い出した。
頑張っても結果が出ない自分。
努力しても幸せにはなれていない自分。
いつも焦って、何かに追われている自分。
腰を痛めたり、体調崩したりして無理している自分。
そんな自分を見せることで、
無意識にも母に対して母の罪悪感を刺激しようとしていた。
時には罪悪感をくすぐるような言葉を投げつけていたかもしれない。

でも、母親は、どんな私の姿も態度も何も言わずに受け入れていた。
何も言わない、反応しない母親を、
わたしは「逃げている」と思っていた。
でも違った。
お母さんは、わたしにとっての「悪役」を、
甘んじて引き受けてくれていた。
お母さんというか、お母さんのスピリットが。
わたしが気づくまで。
それは、親ならば絶対にしたくない役。
でもお母さんはそれをやってくれていた。

そう気づいた時、すべてが愛だったことに気づいた。
深い愛を、狙い通りに絶望という形で受け取り、
そして今の気づきに至るまで、お母さんはやりぬいてくれた。
わたしは涙が止まらなくなった。
母を大好きとか、もはやそんな感情はない。
でも、わたしは母の人生を精一杯尊重したいと思った。

わたしは子どもにとっての悪役になれるだろうか。
わたしがわたしを生きることでそうなることがあるかもしれない。
でもそれは必然なのだとわかった。
この気づきはわたしにとって、
とても深く大きな価値観の転換となった。

どんなふうに価値観がひっくり返ったのかは次回!

続き・・・


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