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キミに必要なのは寛容さってことなのか?

 誰も傷つかない、あなたとわたしに「やさしい」世の中というのがもし、嘘くさくて、不快で、嫌だと思う人がいたなら、そのあなたとわたしに「やさしい」世の中というのは、言葉として堂々巡りをし、もはや矛盾だらけなものに違いない。

 ネット上の誹謗中傷、晒しに炎上、人を踏みつけにする暴力は断じて正義ではない。タチが悪い。だが全世界と全宇宙に配慮して、一切の批判を許さず、言論を封殺し議論ができない環境は、ネットであれリアルであれ健全ではない。

 言っていい事とダメな事はある。『人に迷惑をかけてはいけません』と小学校の先生に習ったし、親にも教わった気がする。しかし、今日まで生きてきて、誰にも迷惑かけず生きている人を見たことがない。大なり小なり人は人に迷惑をかける。

 開き直っているわけではない。それは社会生活を営んでおれば仕方のないことと思うのだ。
 問題はそれが、その迷惑が許容され支え合える関係のうちにとどまるかどうかで、つまり、人と人との関係性、社会や集団の在り方に答えを見出すしかないということだ。

 標語みたいな《共生》だとか《共感》だとか《配慮》ではなく、いま目の前でひねくれ、すねている人をつまはじくとか、嫌いだから意地悪するとか、自分だけいい思いをしようとか、勝ち組だとか負け組だとか、そういう考えが問題だろう。
 そんなものがのさばれば、誰も何も言えない、また、窮屈で独善がまかり通る社会や集団ができあがる。

 人は常に進歩する道を歩んではいない。現状維持という名の勘違いの坂道を下っていくこともある。

「つまり私たちは、信じられないほどの能力を有していると感じていても、何を実現するべきかを知らない時代に生きているのだ。あらゆるものを支配しているが、おのれ自身を支配していない時代である。」

「大衆とはおのれ自身を特別な理由によって評価せず“みんなと同じ”であると感じても、そのことに苦しまず、他の人たちと自分は同じなのだと、むしろ満足している人たちのことをいう。」

「(大衆は)もはや世界は逸脱も後退もなしにまっすぐに進んでいくと確信して、将来についての不安を引っ込め、迷いなく不動の現在に腰をすえる。」

オルテガ・イ・ガセット著
『大衆の反逆』より
オルテガ・イ・ガセット
(1883年 - 1955年)

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