見出し画像

愛すべきアホの深み

 「なんでも人のせいにする、それが社訓みたいなものですから」とその店のマスターはいった。大都会のど真ん中で、その言葉は不思議なくらいすなおに心に響いた。まったく嫌味がない。

 オレは酒とマスターの人柄にやられている。ビリケンさんと思う。この知恵の背後には狡猾さとはかけ離れた、なんか人生の“深み”みたいなもんがある。なかなかいないアホやけど、オレには到底わからん“ある深み”を筋として生きる人だ。

 生きとったら、自分で背負ってもしぁない事はけっこうある。ずるいようだが、オレもそれを『人のせいにしてええ』と思ってる。見栄はらんでもそれで肩の荷下ろせるなら、そんでええと。

 自分の順番は格好つけて人に譲らない。他人の期待に応えるより、自分のしたいことを優先する。立派じゃないことも、ずるいことも、けれどもそれはそれで知恵ではなかろうか。

 この歳になってまだ、父や母の人生に負い目を感じるときがある。だが、父には父の母には母の人生があったのだ、オレが“なんぼ”ということはない。

 人の人生を背負うことなんか誰ができるのか。親は親でそれぞれの人生を完結させた。苦しめたことも事実あったが、いつまでも罪悪感を感じなくていい。

 いま歳月をかさね、与えることが当たり前だった人生も様相を変えはじめている。人に与えることができなくなり、一つ一つが失われていく一方になりつつある。

 生まれ育ちはさておいても、当人があと戻りできない人生に鷲掴みされ、すべてが遠のいていくのをどうみるのか。
 それはごく自然に、呼吸する刹那に、あの列車の窓外の景色が、みるみる後方へ置いてかれるようなのだが。


 マスターには“ある深い陰影”を感じる。そして、少なくともそういう、自分の影さすところに“生き筋”を見つけられる人なら、アホでも金に縁がなくても、賢いと思うし好きでもありビリケンさんなのだ。

いいなと思ったら応援しよう!