
皆、自分に幻滅されることが一番の恐怖なのかも
普段は、他人の目を気にして自分の一挙手一投足を考えるということがほとんどない身ではある。
自分のありたい姿で、したい選択をすること。
それを阻むものを眼中に入れない傾向が、幼い頃からあったように思う。
ゆえに批判の対象になることはつきものだった。
そうとなれば気にするし傷つくこともあったけれど、そこにとどまっているほどヒマじゃないのよという感覚だった。自分の〝好き〟や〝したい〟を追いかけることにとにかく余念がなかったのかもしれない。
Who is the judge?
これは大人になったゆえなのかわからないが、いつからか〝体裁〟という厄介者が現れた。
〝批判されること〟〝嫌われること〟は相変わらず恐れない傾向にあるが
「こんなことしたら品がないかもしれない」
「これは自分のポリシーに反してしまいそう」
など、謎に面倒くさいやつだ。
これは実は
他人からの批判は恐れていなくても、自分からの批判には恐れを感じているということなのだろうと思う。
自分に嫌われたくない
自分にがっかりされたくない と…
もう意味がわからない(笑)
しかし、全て自分の中で起きていることならば
自分で如何様にもできるわけで。
ただ単に
そんな自分を嫌わなければいいし
そんな自分にがっかりしなければいい。
自分に批判を向けなければそれで済むことだ。
どこまでも受け入れたらいいだけ。
誰しもラスボスは自分?
そして
他人から嫌われるのを恐れる人だって、実は突き詰めたら自分に嫌われたくないだけ。
「人に嫌われてしまったこんな私を許せない」
なんて思ってしまえば、それは自分で自分を拒絶する気持ちも同然なわけだから。
他人の目を気にしているようで、実は自分の目を気にしているとなれば
自分の見方捉え方を自分の真ん中に軸のように立てて、自分の心に誠実に忠実にいられたら十分なのかもしれない。
他に気にする必要のあることなんて、あまりそうないのかもしれない。
それは単なる自己中とは違う。
(自己中って実は意外にも、自分の心に誠実でも忠実でもなかったりするから)
極論
最後に…
ここまで色々と書いたくせに身も蓋もないことを言ってしまうと
あなたが思っているほど、他人はあなたのことを気にしていないから大丈夫!!!(笑)