源信(五)
「往生要集」における八大地獄の究極は阿鼻地獄である。阿鼻地獄は無間地獄とも称され、ひょっとするとこの無間地獄のネーミングの方が知名度は高いのかもしれない。前回は八大地獄を地下8階建てのビルに例えた場合、地下1階に位置する等活地獄の話がメインになったが、そこは八大地獄の中では最も罪の少ない者が落ちる地獄であった。しかしそれでも想像を絶する大恐慌の苦界なのは間違いない。そして死後に転生した先は、階が下がるにつれて地獄の恐慌と狂躁状態は当然のこと肥大化しており、地下2階の衆合地獄は等活地獄の凄惨さを遥かに凌ぐ。今回は地下2階から地下7階までの凄まじい地獄の描写はすっ飛ばして、一気に地下8階の阿鼻地獄の話からはじめたい。
前回「往生要集」の地獄観が、現世と地続きの印象さえ受けると述べたが、阿鼻地獄は特にそれを痛感させられる内容だ。まず阿鼻地獄に転生した瞬間、当事者たる罪人は何と2000年もの時間をかけて、ひたすら暗黒の世界を落下し続ける。そしてその悠久の時を超えて到達した奈落の底こそ地獄の最高峰なのだ。灼熱を発する刀の林に囲まれている混沌とした空間は、銅や鉄を含んだ火の玉が豪雨のように降り注ぎ、燃え盛る巨大な火炎が四方八方に乱立している。罪人を裁く獄卒は、人型も動物型も重火器による波状攻撃がメインとなり、業火に焼かれる無尽蔵の肉の腐臭は悍ましく、山が崩落し大地が揺れるほどの爆音が轟き、まるで近現代の悲惨な戦場のような有様だが、これが682京1120兆年も続くのだから、罪人はもう狂乱状態で絶望するしかない。
この阿鼻地獄、驚くべきことに人類史における衝撃的な相似形がフラッシュバックしている。それは20世紀の第2次世界大戦末期、日本列島の広島と長崎に原子爆弾が投下された後の恐ろしい戦禍だ。夥しい被爆者が遭遇した放射能で都市が丸ごと焼かれてしまう惨劇こそ、まさにこの阿鼻地獄の世界そのものである。10世紀から11世紀を生きた源信が、20世紀を予知できたとは思えないが、都から離れて隠棲し一人の仏教者として、遥か昔の釈迦の声を傾聴するように探求を重ねていた彼には千里眼の如く、暴走する人類の行末が見透せたのかもしれない。そして天災や人災で社会が荒廃し末法思想が蔓延る平安時代において、釈迦の教えの根本たる「殺すなかれ、殺させるなかれ」という言葉は、残念ながら風化しつつあった。それゆえ源信は、人間の愚行がこのまま未来に向かってエスカレートの一途を辿れば、阿鼻地獄のカタストロフが、核戦争のような想像の域を超えた形で具現化してしまう、そうした異様な不安や危惧も感じていたのではないか。
また地獄のイメージは、そもそも仏教のオリジナルではなく、古代インドで釈迦が誕生する以前から存在していた。紀元前13世紀頃にアーリア人がインド亜大陸に侵入し、先住民を支配して成立した都市国家群の支配階級が、権威や権力を正当化する為に導入したバラモン教の教義における地獄がその原型だ。そして支配の礎となるカースト制を盤石にする為にバラモン教の地獄観は非常に重宝した。つまり支配階級が被支配階級へ、身分制度の不条理を感じる隙を与えぬよう、一種の脅し文句として作用していたと思われる。現世の身分は前世の業により決まっており、それを変えることはできない。要は身分制度を変えることは悪業であり、被支配階級は支配階級に逆らえば、来世は地獄に落ちるのではないかという強迫観念に囚われていた。
しかし仏教の始祖の釈迦は、これに明確に異を唱えている。特に前世の悪業によって今の酷い現世があると納得する、そのような輪廻転生は苦しみであり、この苦しみからの解脱を説いた。この解脱こそ、浄土への往生なのだ。そして仏教における地獄観は、バラモン教の地獄観とは違い、来世への地獄行きを恐怖する対象が支配階級になるよう想定されているとしか思えない。特に阿鼻地獄の罪状リストにおいて、下記に述べる搾取の罪がそれを象徴している。
いたずらに信者の施し物を受けた者が、 この地獄に堕ちる。
具体例としては、むかし人々が用いている川の流れを断って、 人を渇き死にさせた者が、 ここに堕ちる。また、むかし仏に供えた財物を取って、 これを食べ用いた者が、 この中に堕ちる。等と記述されており、これは為政者だけではなく、宗教的権威も明らかにその懲罰対象になっている。つまり宗教組織において、敬虔な信者を洗脳し奴隷化するような行為は最大級に罪深いことなのだ。要はその時点で来世の阿鼻地獄行き確定である。
現代日本においても、この古代インドと同様に、地獄に落ちるぞという脅し文句で、人を支配して搾取する宗教的権威は見受けられるし、彼らは国民をマインドコントロールして圧政を強いる国家権力者や、ブラック企業の経営者と同様に罪深い。ここまでを踏まえると「往生要集」に描かれた地獄の描写は、やはり現実世界にも向けられていると考えるべきであろう。つまりこの世には残酷な地獄に近い実態が既に存在し、それを認識すれば、そこを厭い離れ理想の世界を求める気持ちも生まれてくる。そして天災や人災で荒れ果てた社会の諸問題を改善する行動へと繋がっていく。
釈迦は生前に、死後のことは考えない方が良いとも述べていた。人生で臨死体験に遭遇した人々とて、生還している以上、やはり死後の世界は本当の死者にしかわからないのではないか。また現世において、前世や来世の概念の悪用があれば、その悪用により悲惨な境遇に貶められる被害者が発生する為、輪廻転生からの解脱、浄土へ往生する道は、やはり救いだといえる。そして浄土は悟りの境地であり、その視点に立てば人間社会の差別は実在せず、一切の生きとし生けるものは平等であるという真理に気付くはずである。
「往生要集」における浄土へ往生する方法には、観想念仏と称名念仏の2つの道があり、一般的に広く知られているのは称名念仏であろう。これは一心に仏を想い念仏の行をあげることにより、輪廻転生からは解脱し、阿弥陀仏の慈悲により浄土へ救い上げられる。幸せの消えない、傷つくことのない世界へ行く。ここでの念仏の行とは、南無阿弥陀仏と唱えることだ。真にシンプルなのだが、「往生要集」が後世に渡って万民にも語り継がれていくのは、この称名念仏による救済のパターンである。そして称名念仏が万民にも広く浸透した理由は、「往生要集」を残した源信がそれを望んでいたからだと思われる。
源信が生きた時代、一部の富める者よりも大多数の貧しき者は死と隣り合わせであったはずだ。無論、天然痘のようなパンデミックが襲来すれば、都の皇族や貴族も感染は免れないが民衆の比ではない。また貧困という最悪の環境下で死が差し迫った時、念仏行に集中することで、苦難に満ちた現世から解放されること。魂に平安が訪れ、浄土への救済を彼らが確信すること。源信はそれを切に願っていたようで、死を迎える者とそれを看取る側の心得も、「往生要集」には著述されている。これは現代の終末医療や緩和ケアにも通じる要素であり、次回は浄土を中心に考察してみたい。
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