この日本古代の飛鳥時代を生きた偉人に関しては、以前にブログにも書いたので、今回はそちらの内容とは少し異なる観点から話をしてみたい。 聖徳太子の政治家としての偉業は数あれど、憲法を制定した業績は非常に有名である。殆どの日本人は、さほど歴史好きではなくとも、十七条憲法が昔の日本の法律らしきことくらいなら知っている。しかもこの十七条憲法は、日本史における法の中でも、その影響力たるや相当なものだ。否、これはひょっとすると、むしろ法の影響そのものよりも、日本列島で暮らす人々の特質を
源信が「往生要集」で編集して著した地獄と浄土の概念は、死後の世界に関心を持つ人々へ、誠実に死と向き合う為の扉を開いたように思える。生物である限り、死は必ず訪れる。また富める者にも貧しき者にも死から逃れる術はない。ある意味、死の事実という一点において、全ての生物は平等になれるともいえる。 ただし歴史上、始めて広大な中国大陸を統一した秦の始皇帝のように、死を意識した契機から不老不死の妙薬を求める強大な権力者も存在した。始皇帝が統べる秦の王朝には、仏教はまだ伝来していなかった
「往生要集」の序文は、源信の肉声のような語り口ではじまっている。まず開口一番「そもそも極楽に往生するための教行は、濁りはてたこの末の世の目とも足ともなるものである‥‥」とそう述べており、この第一声には、末法思想が流布していた平安時代の社会に対する厳しい現状認識が感じられる。そしてそんな現世批判を通して、目とも足ともなる、つまり前を向いて進む道標として、源信は浄土を希求する仏の教えを抽出し編集した。また現代よりも全てのインフラが脆弱で、社会構造も歪な日常において、窮乏した生活を
「往生要集」における八大地獄の究極は阿鼻地獄である。阿鼻地獄は無間地獄とも称され、ひょっとするとこの無間地獄のネーミングの方が知名度は高いのかもしれない。前回は八大地獄を地下8階建てのビルに例えた場合、地下1階に位置する等活地獄の話がメインになったが、そこは八大地獄の中では最も罪の少ない者が落ちる地獄であった。しかしそれでも想像を絶する大恐慌の苦界なのは間違いない。そして死後に転生した先は、階が下がるにつれて地獄の恐慌と狂躁状態は当然のこと肥大化しており、地下2階の衆合地獄は
前回、「往生要集」には八大地獄が存在することを述べた。そしてこの八大地獄を要する地獄道は仏教における六道という6種類の冥界の1つだ。その6種類とは天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道になる。勿論、地獄道とは最上層の天道とは逆に最下層に位置し、人はその死後、因果応報によりこの六道を輪廻転生する。 この為、現世では人間であっても、生前の行いの影響で、来世は人間に生まれ変われる人道ではなく、最下層の地獄道に生まれ落ちる可能性は高い。なぜなら「往生要集」における解釈では
源信が43歳の頃に完成させた「往生要集」の凄いところは、私たち現代人も戦慄するほどに、そこで描かれている地獄のイメージが生々しいことだ。しかも序文をほんの少し過ぎた辺りから、地獄の解説のオンパレード状態になっていく。これは「往生要集」や、その著者たる源信を知らない人でさえ地獄の存在を再認識するであろう。実際に「往生要集」を読むと、その凄惨な地獄の光景は真に恐ろし過ぎるのだが、それでも私たちの地獄に対する先入観を裏切る内容ではない。むしろその先入観は極限までパワーアップされて
源信は9歳から比叡山で仏道の修行を始め、大変優秀であったことから5年後に得度している。またその翌年、村上天皇により法華八講を説く講師にも選出されて下賜を受けた。そして賜与の褒美の品を、大和国の故郷で暮らす母親へ送ったところ、意外にも送り返されてしまう。ところがこの源信のエピソードは極めて重要で、ひょっとすると源信の母親は、源信よりも優れた宗教者であった可能性がある。また紫式部は、源信その人よりも、この母親と源信がセットになった仏教観から影響を受けたと解釈した方が正解かもしれ
前回、紫式部について書いた。今回noteに書かせていただくのは、彼女と同じ平安時代を生きた僧侶、源信である。ただ源信は紫式部よりもずっと年上者であり、あの「源氏物語」が完成した頃には、もう古希に近い老人であったと思われる。そして興味深いのは「源氏物語」において、この源信をモデルにした登場人物が第三部に現れることだ。それは「横川の僧都」という僧侶で、彼の人物造形には紫式部の仏教観が如実に反映されている。そして恐らく彼女の仏教観は、源信から多くの影響を受けていた。阿弥陀仏に救済
最近、NHKの大河ドラマ「光る君へ」を視聴していて、少し気になる発見があった。それは主人公まひろが、少女時代に遭遇した母の死を思い出し、泣きながら悲嘆するシーンだ。この吉高由里子さん演じるまひろこそ紫式部であり、彼女の熱演も相まって、この偉大な女流作家に抱いていた人物像が、今更ながらに深まった気がする。 ここでまひろは、殺害された母の悲劇に、痛切な自責の念を感じており、もし仮にあの日あの時、自分が騎乗の殺害者に対し障害物のようにぶつからなければ、母の死は起きなかったのに
「肖像文」というタイトルを掲げてみたものの、元々肖像とは人の外観を表す意味で使われることが多い。特にリアルタイムの今の視点で語ろうとするなら、肖像は外観の印象そのものになりそうだ。つまり虚実を綯い交ぜにしても、焦点を当てた人の情報量がかなり多く、それ故その人の人物評を書くにしても、あまり想像を働かせる余地が無い気がする。その意味では、古くから歴史に名を残している人々の姿形は曖昧なことこの上ない。またその逆も真なりで、空想の翼を広げ過ぎてどう転んでも誇張が度を超してしまったケー