源信(七)
源信が「往生要集」で編集して著した地獄と浄土の概念は、死後の世界に関心を持つ人々へ、誠実に死と向き合う為の扉を開いたように思える。生物である限り、死は必ず訪れる。また富める者にも貧しき者にも死から逃れる術はない。ある意味、死の事実という一点において、全ての生物は平等になれるともいえる。
ただし歴史上、始めて広大な中国大陸を統一した秦の始皇帝のように、死を意識した契機から不老不死の妙薬を求める強大な権力者も存在した。始皇帝が統べる秦の王朝には、仏教はまだ伝来していなかったが、始皇帝に限らずこうした自分だけを例外視して、死を克服しようとする権力者たちに共通するのは、現世において隆盛を極めた豪奢な栄華の消失を何よりも恐れていることだ。
源信とリアルタイムで同時代の日本を生きた藤原道長もその例外ではなかろう。道長の場合、「往生要集」を読んでいたがゆえに、不老不死を追求する気はさらさら無かったはずだが、その往生際が悪かったのは、恐らく輪廻からの解脱よりも現世への執着心が強かったからではないか。つまり浄土への往生よりも、来世への転生先が六道における人間道となり、かつて我が世の春を謳歌できた現世に等しい世界に再生すること、またしても栄耀栄華の生涯を再び人間として辿れること、これを全うできるのであれば、そちらの方がベストだということであろう。
しかし国政を預かるような為政者がそんな有様では、無辜の大多数の国民には迷惑な話である。本来ならば、国を動かせるような力を有する人々こそ、謙虚な死生観を持つべきなのだ。やはり源信が「往生要集」において過酷な地獄観を提示したのは、支配層への警鐘および戒めである。そして多分、源信その人は、釈迦が生前に語っていたように、本当のところ死後のことは考えない方が良いという立ち位置にいたと思われる。つまり死後のことは死者にしかわからない。
また大乗仏教における地獄観は、紀元前の釈迦の死後、膨大な時間の流れの中で紆余曲折を経て変遷しており折衷的で矛盾も多い。例えば六道における修羅道の世界を治めているのはゾロアスター教の最高神であり、地獄道における最高裁判官たる閻魔大王の人物造詣は儒教や道教からの影響も感じられる。要するにごった煮の世界設定の上に成立しているのだ。
源信が「往生要集」に仏教の世界観を編集して纏めたのも、やはり現世における現実社会を善処するのが主目的であろう。死が避けられないことを前提とした上で、為政者が生命の尊さや重さを認識すれば、天災や人災における不条理な死は減っていくはずだからだ。そしてこれは何も源信が生きた平安時代に限ったことではない。現代社会は技術革新の恩恵を受けて格段に医療は進歩したが、病院で人生の最期を迎える人々が多く、その生の終点において魂が救済されるのかという問題が残っている。この瞬間での浄土を願う臨終行儀は「往生要集」に書かれているように、看取る側が看取られる側を心穏やかに往生できるよう配慮することが最善の道であろう。
源信が他界するのは11世紀初期であるが、臨終にあたっては阿弥陀如来像の手に結び付けた糸を、彼も手にして合掌しながら亡くなっている。恐らく彼は看取られる側にあっても看取る側の人々に最大級の配慮をしたと思われる。彼の死後10年ほどして、藤原道長が他界するが、これまで述べてきたように彼の最期は独裁者らしく看取る側に相当な負荷をかけたようだ。そしてこの道長の死後の約10年後に、源信の「往生要集」にも感化された紫式部がこの世を去った。彼女のライフワーク「源氏物語」には、様々な登場人物の死が描かれているが、中でも光源氏の死は世界文学史上においても稀有なシーンである。「雲隠」という章のタイトルのみで、文章は何も書かれず白紙の状態だからだ。しかしこれほど権力者の死を虚しく見事に表現した文学作品は他にないのではないか。恐らく紫式部も、死後の世界は死者にしかわからないという死生観をもっていたはずだ。
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