トルストイの名言にスキ❤️
『人間に最大の幸福をもたらすところの感情をすべての人間は知っている。その感情は愛である』
トルストイと言えば、なんと言っても『戦争と平和』『アンナ.カレーニナ』『復活』が面白かったですね。
女性描写の天才としても知られています。
敬虔なクリスチャンだったので、慈善活動にも積極的でした。そして、非暴力主義で知られるインドのガンジーとも懇意で、手紙のやりとりをしていました。
トルストイやドストエフスキーが生きた時代のロシアも、日本の江戸時代のような封建社会で、貧富の差がはげしかったのです。
トルストイはこんな言葉ものこしています。
『幸福な家庭はどこの家も似通っているが、不幸な家庭は色とりどりの不幸である』
アンナ.カレーニナの冒頭の一説です。
トルストイは幸福とは何なのか、を小説の中で追及していきます。
そして導き出したのが、最初の名言の『愛』です。
古今東西の小説家が、『愛について』をテーマにする目的が、それこそが『幸福の象徴』だからでしょう。
資本主義経済では、すべての物が商品になる、とカール.マルクスは『資本論』の中で述べています。
そうです。愛情までお金で買えるのです。
現代、日本社会でも経済的にゆとりのある男には、たとえ容姿が悪くても女性にもてます。
逆に、女性はお金がなくても、美人というだけで理想の結婚を選択させてもらう権利があります。
悪い言い方をすれば、男が商品を買う側で、女が商品を売る側になります。
サラリーマンも同じです。会社に労働力を売って、対価として賃金を得ています。
しかし、労働の場合は買い手である資本家(会社)側が、人件費の削減をスローガンとして、安い賃金で買いたたいているから、労働者側の不満がつのります。
では、男と女の結婚生活はどうでしょうか。
これにしても、買い手て売り手が平等でないから離婚問題に発展したりしますね。
マルクスの言う『何でも商品』は愛には難しい面がありますね。
労働の場合はいくら賃金が安いからといって簡単に今の仕事をやめられないし、大半の人がその賃金でも我慢して働いています。
それでも、我慢しきれない人は転職するか、独立しています。
こう考えていくと、会社と労働者の関係と夫婦関係は目くそ鼻くそのような気もしてきます。
結婚当初は夫も美人の妻と結婚して満足していても、1年、2年と経つうちに、妻も家事をしなくなり、フィットネスやカルチャースクールなどで遊びに行ったりと、やりたい放題する奥さんの話も聞きます。
それでも、我慢できる人なら問題ありません。
女性側からしても、結婚当初は優しく経済的に余裕のある生活をしていても、時と共に、良くもなるし悪くもなります。
時間の経過と共に状況は変わるし、それによって人間性まで変わることもあります。
お互いの人間的価値は、金利と同じく変動制です。
しかも、今は低金利ときています。経済的にゆとりがなくなれば、心もすさんでくるのが、世の常です。
しかし、逆に年収が1000万とか2000万だったら幸せなのか、と言うとそうでもないようなのです。
私たち一般人からしてみたら、夢のような年収です。車も毎年買いかえられるし、大型連休は毎度海外旅行です。
しかし、現実的にはそんな年収でも借金まみれの人もいれば、家族で遊びに行くのもあきてしまったり、一緒に遊べる友人がいなかったりと、思い通りにいかないことも多いそうです。
何故、借金をするかに疑問を持たれる方も多いと思います。
お金は稼ぐには時間がかかりますが、使うのは一瞬です。
要するに、一般人が想像する遊びとはわけが違うのです。
ヨットクルーザーを購入して、マリンスポーツを楽しんだり、高級クラブで1日に数百万使ったりすれば、年収が2000万だろうが、3000万だろうが、たちまち借金まみれです。
ある経済学者が導き出した、人が幸福を感じる年収は800万円だそうです。
多すぎず少なすぎず、といったところでしょうけど、それでも一般人からしてみれば多いですね。
何故800万かと言うと、まだ物を大事にする年収だそうです。
これが数千万、1億ともなると、物の有り難みもなくなる、といいます。
それと、預金通帳の0の桁が減る度に恐怖を覚えるそうです。
そして、何より『夢や希望』がなくなる、と言います。
欲しい物は何でも買えて、好きな遊びは何でもやってしまうと、退屈になってしまうのです。
トルストイが言う『幸福な家庭が似かよっている』というのはこういうことでしょう。
そして、やはり『最大の幸福』とは愛する人と死ぬまで仲良く暮らしていけることではないでしょうか。
ゲーテはこんな言葉をのこしています。