車の運転は、その時の精神状態の鏡
最近はだいぶん、減りましたね『あおり運転』。
あおり運転がクローズアップされてから、ドライブレコーダーが装着されるようになったので悪いことができなくなりましたね。
前の車が遅くてイライラしても、あおると証拠として残るから、自制心がはたらく人が増えました。
私たちトラック運転手としては、ずいぶん助かっています。
大型トラックは荷物を10t以上積んでいると、スタートが異常に遅いし、上り坂は、傾斜角度によりますけど、どんなに目一杯アクセルを踏んでも30kmしかでないこともあります。
そのため、時おり追い越しされた後に急ブレーキを踏まれる嫌がらせをしてくる車も度々いました。おかげて、荷物がずれて破損することもありました。
しかし、やはり誰かに見られ記録に残るとなれば、匿名性を利用した運転はできないのでしょう。
以前、私は東名高速のあおり運転事故のニュースを見て『やはり、このような悲惨な事故がおこったか』と懸念していたことが、起こった時に、『運転論あおり運転対処法』という本を出版しました。
事故で両親を失くした姉妹のことを思うと、いてもたってもいられなくなったのです。
たかだか1人のつまらない怒りとイライラのせいで少女2人の人生を変えたのです。腹が立って仕方ありませんでした。
そもそも何故、人は車に乗ると普段抑えている怒りの感情をぶつけるのでしょうか。
普段抑えているから、車で怒りを表現するという見方も当然あります。しかし、それだけではありません。
もともと、人間にとって他者は脅威なのです。人間にとって同じ人間だけが自分をおびやかす存在なのです。
だから、戦争にしてもやられる前にやる、という発想が思いつくのです。
そういう意味では、交通社会は戦争です。
みなさんは、会社に出勤時や時間に追われて運転している時に、平常心でいられますか。
私も、もちろん焦ります。しかし、スピードを上げて事故を起こしたことをイメージすると、時間に遅れた方がはるかにマシです。
私の会社でも『眠たいのを我慢して走るのはやめてください。眠たい時はすぐに寝てください』と運行管理者はくどいほどに指導します。
社会全体が、車による悲惨な事故に警戒しているのです。
しかし、人間の習性として『歴史は繰り返す』のです。
東名高速のあおり運転事故(2017年)が起きて7年が経ちました。
私が最近高速道路を走っていて思うのは、『また奴らが帰ってきた』です。
1時は、あの事故以来身を隠していたロードレージが、『帰ってきたウルトラマン』のように正義の味方ならいいのですが、帰ってきたのは『悪の権化』です。
最近は、あおり方も巧妙になってきています。
追い越しをして、走行車線にもどる時も、まだ車体が重なっている時からウインカーをつけはじめて、車体がぬけると同時にスレスレで入ってきて、イライラをぶつけているようです。
そして、あおり運転はほんの些細な割り込みから始まるのです。だから、最近は脇道から入ってきた車がハザードランプを点滅させることが多くなりました。
あおり運転を警戒している証拠ですね。
そもそも、車を運転するのは目的地に行くためです。他車との競争ではありません。大半の人はこのことを理解していますが、競争意識を持った人も存在します。
通常人間が怒るのは、軽蔑された時、馬鹿にされた時です。
しかし、車の運転歴が長い人は、他車の微妙な車体の動き方で、その人の今の精神状態、今の道路状況で前を走っている車が、どのような行動を起こすのかが、推測できるのです。
運転歴というのは、年数ではなく通算走行距離です。
人を相手にする職業、特にサービス業の方もこのことを感じているのではないでしょうか。
営業マンだと今、目の前のお客様がどのような経済状態や精神状態で、どこが落としどころか、などの言葉を常に考えています。
そんなことを数十年も経験していると、相手の顔を見ただけで、『この人ならいける』と思うようになるのです。
私もだてに車を30数年運転したわけではありません。走行距離にしたら達人レベルです。でも、トラックの運転手はそれが当たり前です。
1つの職業を数十年も経験すれば、どなたも達人ですね。
だから、私もnoteでみなさんの投稿記事で勉強させてもらっています。
話がそれましたが、車の運転時には最近は、心理戦の様相も呈してきています。
1つ、お得になる情報を提供します。渋滞時は『逆転現象』が起こるのです。
通常、複数車線は右側が追い越し車線なので、早く行きたい方は右側に意識がいきます。
ところが、渋滞時にも意外とそのままの観念をもっている方が多いので、3車線、4車線あっても右側に集中するので、1番左側の車線が空いていることが、よくあるのです。
しかし、あまりにも渋滞が度を越してくると、この法則は通用しませんが。
なんにしても、車の運転は今の心の常態を運転玄人の人からは見透かされます。
時間に焦っている人、イライラしている人の運転は、スピードの出し方、車体の動き方を見ていれば、すぐにわかります。
だから、私は焦っていても、他者に悟られないように運転しています。
人は他者に思い通りにされると癪にさわるのです。