話し上手より、聞き上手✨
先月の情報番組で、オーストラリアにワーキングホリデーをする日本人が仕事がみつからない、と報じられていました。
その主な要因に日本人の英語力が取り沙汰されていました。
ワーホリに行くくらいだから、英語には多少の自信をもって、渡航しているみたいです。
しかし、現地の会社やお店の人が、話す質問の内容が理解できないようで、チグハグな返答しかできない映像が流れていました。
話すことは、自分のタイミングで自分の考えを言葉として組み立てればいいのですが、聞くことは自分の頭にないことを、相手のタイミングと話すスピードに合わせなければならないから難しいのです。
日本人の英語学習は基本的に文章の読み書きに力を入れていて、会話の学習の時間が少ないと以前から問題視されていました。
そのため、一時は英会話教室が繁盛していました。
日本人の英語力について話しましたが、このことは、日本人同士での日本語での会話でも、似たようなことが起こっています。
英語と同様に、自分から何かを論じて、自分の考えを話すことは、簡単だし面白いのです。
話す内容も、自分が得意なこと、興味があることを中心に話すから、いくらでも話すことができます。
しかし、立場が逆になるとどうでしょうか。
相手が自分の話しばかりして、しかも興味がなくつまらなかったら、返答はもはやなく、相槌すらもうてなくなります。
だから、聞くことは疲れます。興味のない話に対して意見を考えることは、興味のない本を読む時と全く同じです。
読書をする時に、自ら好きでもない分野の本を読む人はいませんね。
人の話しを聞きながら、つまらないのは、相手の話を理解できるほどの知識の量が少ないこともあると思います。
誰でも、話し相手となる友人は欲しいと少なからず思っています。単純に1人でご飯を食べても美味しくないからという人もいるでしょう。
社会的動物である人間はやはり1人では面白くありません。
でも、やはり仲間と関係を良好に保とうと思うと、自分の悩みや愚痴を聞いてもらうだけでは、すぐに関係は崩れてしまいます。
人間関係はギブアンドテイクが原則ですから、自分の話を聞いてもらったら、次は相手の話を聞くスタンスでなくてはなりません。
一般的に、話すこと、弁論することの方が技術がいるように思われがちですが、聞くことの方が技術がいると思います。
noteでもしかりです。記事を読むことは話を聞くことです。その記事を正確に読んで、筆者が喜ぶコメントを書こうと思ったら、考えこむ必要があります。
逆に記事を書くことは、会話で言えば話すことです。
自分が書けそうなテーマを、自分の頭にあることを整理しながら、まとめて他者に理解してもらえるように国語的文章でアウトプットすればいいわけです。
しかし、他者の記事へのコメントに的確な返答が思いつかないという方もいるでしょう。
理由は、単純に他者の頭にあることがわからないからです。
だから、あるテーマについて、会話でもnoteでも意見交換しながら、物事の本質や他者と自分の考え方や価値観の違いなどを話しあいたいのです。
聞く力は、本を読む読解力です。他者の話すことを上手く咀嚼して、自分なりの考え方にアレンジして、話した当人よりも違った見方や方法などを伝えることができれば、相手は話した甲斐があります。
このことを専門にしている人が文芸評論家ですね。
しかし、話すことと、書くことはカテゴリーとしては同じでも、弱冠の違いがありますね。
時間的な差です。話しをすることは、一発勝負です。対話をしながら、ある程度、正確な言葉で伝えなくてはならないため、時折、日本語としておかしな言葉を話す人もいます。
これが文章だと、1人で考えているわけだから、時間的な余裕があります。書き終わった後に読み返して、間違えている箇所を訂正することができます。
だから、書くことよりも、話すことの方が、頭の回転数が多く必要だと思います。
冒頭の日本人の英語力もそうですけど、話しを聞く力は難しいとつくづく思います。
幅広いジャンルの知識量があれば、どんな話しにも対応できて、返答できます。
結局のところ、聞く力は、話す力も必要だと思います。
読書で得た知識と、仕事での人間関係から得た経験が豊富であれば、自然と聞く力は身についていきますけど、私はそれに四苦八苦しているところです。