見出し画像

所有しすぎると自由はなくなる⁉️

マザー・テレサの言葉にこうあります。

『所有すればするほど、とらわれてしまうのです。より少なく所有すれば、より自由でいられます』

現代は便利な世の中になった反面、便利な物を所有するあまり、お金という追跡者に常に追いかけられているようです。

家や車、電化製品、など買えば買うほど、毎月の支払いで四苦八苦しています。

物が売ってなければ、物欲がわくはずもありません。
戦前までは、もちろん今のような便利な物は売っていませんでした。

科学の発達とともに、食料の生産性が上り人口も、20世紀から爆発的に増えました。

人口が増えたことで、世の中に役に立つ仕事の種類も幅広く増えました。

そうなると、必然的に競って新商品を作らなければ、会社がつぶれていくという現象が起こってきます。

資本主義社会が発展する一方で、物が『あること』と物を『持つこと』が常態化することになり、無ければ無理してローンを組んでまで買うことを、国主導の元でおこなわれています。

私が子供の頃はまだカード決済などなく、欲しい物はお金を貯めてからしか手に入らないという観念しかありませんでした。

何故、ローンを組んでまで物を買わせようとしているかは、経済を発展させるためですね。

人間の仕事意欲をたくみに利用したのです。

お金がなくては物を買えないと、物を買えるまで貯金をして、貯まるまで当然買うことができません。

そうすると、あらゆる会社が作った物は売れるはずもなく、会社の倉庫に在庫が貯まるいっぽうです。また、従業員に安定的に給与を払うためには、在庫をかかえるわけにはいかなくなります。

昨今の中国や韓国は、現金での買い物をほとんどしないと聞きます。両国の経済が急成長したのは、日本と同じく後払い方式にしたためですね。

人間の仕事意欲は、借金があるかないかで、高まったり、低くなったりします。

お金に困ってもいないのに、自らきつい仕事をする人はほとんどいませんね。

私の会社の同僚(55歳)も昨年まで、私と同じように長距離運転手として、あくせく走っていました。

ところが、今年にお父さんを亡くしてから、ターミナルでリフトに乗って荷物の片付けなどを、のんびりしています。

噂では数千万の遺産を相続したらしいのです。その証拠に、お父さんを亡くした翌月に900万のレクサスを購入したのです。

人はお金を持っていると、目の色を変えて働きません。
むしろ、借金があるから、それを返済するという切羽つまった状況の中で、本気になって働きます。

国は、それをたくみに利用して、国民の労働意欲を高めたのです。

そのため、大して欲しくないものでも、他人が持っていると、買わないと、自分だけ流行から取り残されそうな心理状態になって、なんとなく買ったりします。

現代は便利な世の中です。水や電気、交通手段などのインフラも、あることが当たり前で、気にもしません。

白熱電球をエジソンが発明してから、人間の夜の営みの時間が増えました。それ以降、夜に仕事をする人も増えました。

人間が作る物には、全て時短作用があるものです。電化製品などはその最たるものです。炊飯器、電子レンジ、掃除機など、それらの作業をする時に、便利で手軽で、短い時間で終わらせることができます。

何故、人間が作る物に時短がほどこされているのかは、人間の寿命が有限だからです。

現代は明治、大正からすると、劇的に寿命がのびました。平均寿命が倍近くのびました。

しかし、それでも100歳前後がマックスです。物理的に、150歳など生きられないのでしょう。

そうすると、限りある時間の中で、如何に楽しみ、中身の濃い人生が幸せだと考えます。

移動手段である車、バス、船、電車、飛行機のおかげで、私たちは歩いて移動することがなくなった分、莫大な時間を手に入れることができました。

江戸時代に大名が参勤交代で、江戸まで数ヶ月かけて歩いたことを思うと、現代は福岡→東京は飛行機で1時間30分で到着できるので、莫大な時間とお金を手にしていることになります。

時間というのは、お金そのものです。余裕な時間を使って働けば、お金に変換することができます。

しかし、こうした物質文明の価値観にマザー・テレサは警鐘を鳴らしているのです。

便利な物を持つことは、時間やお金を手に入れられる一方で、自分のわずか目の前にある家族との時間や本当に自分を大事にしてくれる人との交流の時間がそぎ落とされているような気がします。

借金すればするほど、仕事意欲が高まり、国は発展したとしても、働きすぎることで、家族との貴重な時間は失くなります。

昨今では、ようやく、そのことに気づきはじめた人が多数現れたことで、多様性の価値観に目覚めた人が声を大にしています。

裕福になることと、幸福になることはイコールではありません。

『所有すること』は目に見える形としては、幸福の代名詞になっていますが、
精神的な幸福としては、語弊があります。

物を持つ、お金を持つことで、それを維持することに、心を奪われるため、本当に自分が何を欲しいのかを見失いがちになります。

私は大して高価な物を持っていないので、ただ生活のために働く意識しかないから、毎日、のびのびと仕事をさせてもらっています。

多少、貧乏人のひがみとして、書かせてもらいました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?