誰もが幸せに生きる力を持っている
ネガティブ面にフォーカスする習慣を手放す
ネガティブなフォーカスが得意な母
90代の母は現在、高齢者サービス住宅に入居しています。
認知症初期の周辺症状のものとられ妄想が頻繁にあるようです。
認知症やものとられ妄想との関連はわかりませんが、母は周囲の人や環境に対してネガティブな側面にフォーカスするのがとても得意でした。
誰かに親切にされても、その人の欠点(自分の気にいらない側面)にフォーカスしてしまいます。
私が誰かの良い面、ポジティブな側面をいうと、むきになって些細な事を取り上げて悪く言うこともよくありました。
或る日、どなたかのお宅にお呼ばれしてご馳走になって帰宅するなり「おしゃべり!!」とはきすてるような口調で一声、「わたしずっときいてたのよ・・・」
その時は私はとてもびっくりしたのですが、発達障害の特性を持った母は会話を楽しめず、聞くばかりだったようです。
また、自分の気持ちや感情をうまく伝えられない母は、本当はあまり行きたくなくても上手く断れなかったのかもしれません。
ー今日はこういうことがあってこうだったんだー という構文で話せないので、いきなり自分のネガティブな感情を私にぶつけてきます。
自分の感情や意見を表現することがとても苦手です。
日常的に人とのコミュニケーションがと上手くとれないと、とても生きづらいことはよくわかります。
「引き寄せの法則」 は年齢、性別、健康不健康、障害のあるなしに関わらず、全ての人において厳密に正確に働くので、誰でもネガティブな側面にフォーカスし続ければ、その側面が強調され、勢いづき、繰り返されることになってしまいます。
*引き寄せの法則・似た周波数のものは引き寄せ合う
例えば 楽しさは楽しさと 豊かさは豊かさ 感謝は感謝 怒りは怒りと 憎しみは憎しみ 貧しさには貧しさ 似た周波数のものは引き寄せ合います。
その後、母はお呼ばれすることはなかったので、その方とのお付き合いは続かなかったようです。
母は自慢が好きなので、自慢と自慢という周波数で引き合ったのかもしれなません。
その程度の人間関係ならば、生活そのものにあまり影響はないかもしれません。
家族や職場などの身近な人間関係であったらどうでしょうか?
夫婦・親子・兄弟姉妹、上司と部下、職場の仲間、誰かのネガティブな側面にフォーカスし、それを継続してしまえば関係が悪化するだろうことが予想されます。
繰り返される思考は現実化します。
誰かに対してネガティブな思考を続ければ、それがその人との人間関係において現実化します。
自分自身についても同じことが言えます。
重箱の隅をつつくならポジティブ面に
細かいところを取り上げて問題にするのは、いわゆる嫁姑の関係や組織のパワハラなどもそうですね。
これはもう本当に、引き寄せの法則からいうとネガティブな面を活性化してしまうパターンです。
全体から見ればほんのちょっとした一部なのに、それをわざわざ言葉と思考で繰り返してしまうのですから、当然、関係性は悪くなってしまいます。
私は過去からつい最近に至るまで、母(両親)にはあれこれやネガティブに重箱の隅をつつかれて、ネガティブな反応を繰り返していました。
引き寄せの法則を知らず、ネガティブな周波数に同調し続け、勢いをつけて、さらにネガティブな関係性を創造していました。
母に負けず劣らすネガティブな面にフォーカスするのが得意になってしまいました。
普通の学校教育では採点方式のテストがあります。
小学校の時に99点を取って、「なぜ1点を間違えたんだ」と責められたことがありました。
まさに重箱の隅をつつくようで、99点分の努力はフォーカスされずに1点の間違いにフォーカスされたことになります。
ダメや不注意というネガティブな側面が勢いづいて、母のネガティブな周波数に同調し、自分にダメ出しするネガティブな感覚になっていました。
記憶は正確ではないですが、母に見せるまでは「がんばったな~やった~」というポジティブな感覚だったと思います。
周囲に何を言われても、その感覚でいればよかったと思いますが、当時の母と自分の関係では難しかったなとも思います。
子どもは、周囲の大人たちの言う事や行動を見ながら育ちます。
赤ん坊の時は自分自身の感覚で笑ったり泣いて何かに夢中で遊んだりしているのに、だんだんと周囲の大人の言う事に影響されていきます。
自分自身の内側からくる感覚ではなく、他人からの評価や反応を目安に行動するようになっていきます。
そうして自分自身の感覚を信じる力を失っていくことがとても多いです。
今、私は過去のネガティブな経験、勉強をして点数を取れと言われつづけた経験も無駄ではなかったと思っています。
自分の子育てにそれを十分生かすことができました。
自分の子ども達には勉強しろと圧をかけることはありませんでしたし、
意図的に言わないという決断をすることができました。
やらされる勉強は実にはならないと理解していたからです。
99点のテストの話には後日談があります。
私は頑張って100点を取りました。
その時に言われたのは「100点を取り続けろ」でした。
母に褒めてもらいたくて必死に頑張り続けた末の言葉でした。
その後、私が失速したのはいうまでもありません。
私は人の評価がすべてになっていました。
母は深く考えずに発した言葉だと思いますが、人生経験の薄い子どもの私にとっては絶望的に感じてしまいました。
先述したように絶望に感じたその経験も、後に役立ちました。
机上の勉強も学校も人生で一番大切なものではない。
人それぞれの学びはテストなどでは測れるものではなく、多様な経験にあるとわかりました。
私の子育て中の最重要トピックはできる限り楽しく過ごすでした。
それは子どものためというより、自分の子ども時代を取り戻したい・・そんな気持ちもあったからだと思います。
もう一つは子どもを自分の思い通りにしようとしない事=コントロールしようとしない事
自分自身が事細かにコントロールされてきたので、子どもの自由意志を尊重することが大切だと思ったからです。
コントロールされつづければ、自分が本当にやりたいことがわからなくなってしまいます。
コントロールされることが当たり前になれば、自分が本当に感じていることが感情がわからなくなってしまいます。
子どもを自由に行動させたら悪い事をするのではないかと思われる方がいるかもしれません。
「引き寄せの法則」を思い出してみます。
子どものよい側面 例えば、優しいな、こういうところに興味があるんだね、ここに感動するんだね これをやってみたいんだね 集中して遊ぶ(創造する)ことができるんだな、 こういうところがいいな、あういうところもいいな、などなど条件付きではなく、無条件の愛でポジティブな側面にフォーカスしていたら、困るような行動が活性化することはありません。
重箱の隅をつつくように良いところを見つけてフォーカスすれば、良い側面が活性化します。
言葉で全てを言わなくても周波数で伝わります。
子どもは親の背中を見て育つと言いますが、親や周囲の大人が感謝・喜び・自由・豊かさ・希望などポジティブな状態にあると、その周波数をと共に育ちます。
違う視点から言うと、生れたばかりの赤ん坊はその周波数にあります。
純粋無垢なポジティブなエネルギーの周波数にいます。
周囲の大人が邪魔さえしなければ、そのエネルギーの周波数を保ち、自由で幸福な人生を創造しはじめます。
本来は大人が子どもに何かを教え込むようなことは必要ではなく、むしろ子どもはこの世界でなんでも自由に創造することができる事を生まれながらに知っています。
大人は子どもの脇役、端役くらいでちょうどいいのではないかと思います。
エイブラハムはもっと極端で 産んだら終わり といいます。
私たちはみな生まれながらにして、この世界で幸福に生きる力を持っていて、それが通常の状態です。
親も子どものために何かを必死に頑張ったり、何かを犠牲にする必要はなく、親もまた自分の人生の創造を楽しめばいいのです。
自分の実体験をもとに書いています。 悩むことも迷うことも多かった、楽しんできたことも多いにあった 山あり、谷あり、がけっぷちあり、お花畑あり、 人生半分以上過ぎたけど、好奇心はそのままに 何でも楽しむ気ありありです。よろしく!!