うちには娘が1人います。 結婚してすぐにでも子供が欲しかった。 それでもなかなか妊娠せず一年が経過。 良いクリニックがあると聞いて家から2時間かかる婦人科クリニックを受診。 特に問題は無いと言われ、後日主人も同行。 そこでまさかの無精子症と判明。 この時のショックは今思い出しても胸がキュッとなる。毎日お風呂で泣いてたなぁ。 「子供が欲しくて結婚したんじゃない。授かり物だから天に任せて過ごそうよ」みたいに言える人って、凄いなぁって思う。 私は何度、何日、考えてもそう
抗がん剤治療中の副作用、私は酷くない方だったようで、ドクターからも「元気ですよね〜」と言われていました。 もちろんしんどい時はしんどい。でも平気な時も多い。泣く日もあったり、もうどうにでもなれと思った日もある。 私がこの病気になった確率は、宝くじ当たるレベルなんじゃない?って思ったりもして。 「1度も買ったことない宝くじ、買っておけば良かったな〜」って、あおぞら見ながら考えてたな〜。
胞状奇胎(共存奇胎)→臨床的侵入奇胎→絨毛癌になった記録や気持ちを少しずつ振り返って書きたいと思います。 もう治療は終わり今は経過観察中。 現在治療中の方や過去に同じような病名を付けられた方の参考に少しでもなれたらいいなと思います。