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人生の転機は100%ドイツ留学である
30代折り返し地点の現在36歳、
関西がルーツで横浜在住、3歳と0歳9ヶ月の子を持つ2児の母。
人生の転機は?挫折を味わったのはいつ?
そう聞かれたら必ず(声を大にして、かつ興奮気味に)「ドイツ留学!」と答えます。
大学3年生から1年間、とてつもなく立派なケルン大聖堂がシンボルとなっているケルンに留学していました。
中学生の頃から、イギリスに留学してイギリス人と結婚したいという夢を持っていて(イギリス人とバージンロードを歩いている夢を見たのがきっかけ。笑)、
まさかドイツに留学することになろうとは当時1ミリも思っていなかったのですが、結果として35年間の中で最も濃い日々を送り、考え方や生き方に大きな影響を与えることになりました。
ドイツでの日々はどんな感じだった?
スタート編 生活する基盤を整える
大学での第二言語で週に数回ドイツ語の授業を受けているだけ、それだけではもちろん実用レベルで話せるほどのドイツ語力が身につくわけでもなく、渡独した時点では典型的でなんのおもしもみもない自己紹介ができるだけでした。
Ich heisse Tsururi. Ich komme aus Japan :) ←名前と出身を言っているだけ。
本当にこの二文だけだったと記憶しています。あとは単語をパラパラ。
異国の地に飛び込む当時の勇気を褒め称えたくなります。
学生時代の勢いってすごい、とつくづく思いますがそれがあっての今があるので、学生さんには是非ともイケイケどんどんで考えるより先にまずは行動に起こしてほしいです。
10年、20年経って思い返せば全てが輝かしい体験だったと切に思うはず・・
そして私のように人生の転機だと胸を張って言えると思います。
話は逸れましたが、ドイツに向かう飛行機で誓ったこと。それは「日本人留学生と群れない」ということでした。
ですが、着いて早々に入寮手続き、役所で住所登録、銀行口座開設など全て自分で行わなければならず泣きそうになっているところ日本人らしき留学生を見つけて思わず声をかけてしました。お互いに知っている情報を交換し、なんとか乗り切れたわけです。
ですがこれ以上の日本人ネットワークは作りませんでした。不安で常に一緒に行動している日本人留学生を横目に、そこそこ会話を理解できるようになる半年経つまでは飛行機で誓ったことを貫き通しました。
ドイツ人(特にお役所、銀行の人たち)の対応は”素晴らしい”です。
担当業務でないものはキッパリと断り、「あっちの窓口に行ってね」と回され何度たらいまわしにされたことか・・
教えてはくれるけど助けてはくれない。どんなに人でごった返していても急ぐことはないし、仕事の仕方はドライ。
半泣きになりながらも何度もお役所に足を運び、生活していく上でやらねばならないことを1ヶ月経った頃くらいに全て終えました。
メンタルだいぶ強くなったし、孤独との戦いにも慣れはじめた・・
ドイツ人学生との接触機会の方が少ない
一番多いのはEU圏、日本・中国・韓国とアジア圏からの留学生もそこそこいましたが、接触機会としては毎日授業をともに受ける留学生たち。
とりあえずドイツ人と接触せねば!とわけもわからずタンデム(意味としては二人乗り自転車。2人1組で助け合う、ということだと思います)というものに登録をし、日本に興味を持つ現地学生を紹介されました。
彼は中国語(中国文化?)専攻で、中国への留学経験あり。
彼との出会いが留学生活を想像以上の楽しさに導くきっかけとなりました。
ヴォルフガングというとても強そうな名前の彼(会うまでどんなイカつい人が来るのかとドキドキし、実際見た目はイカついが笑うとチャーミング)は好奇心旺盛、議論好き、そしてお世話焼き。
週に1回「メンザ(食堂)でランチしよう!」と必ず誘ってくれ、理解はできるけどまぁ話せない英語で一生話しかけてくれます。そして質問攻め!笑
基本はショートメッセージでのやりとりですが、突然電話がかかってきたりもするので「お願い、メッセージにしてよ〜電話はまじで勘弁・・(泣)」と思いながらも、挫けず向き合い続け、留学生訛りのない現地学生のリアルな文章・会話を身につけることができたのです。
数ヶ月すると彼は同じ中国語専攻の友達を一緒にランチに連れてきてくれるようになり(みんな背が180cmはゆうに超える男性たちで、歩いていると守られている感がすごい)、
そこからセカンドステージ突入です。
やーーっとヴォルフガングとコミュニケーション取れるようになったと思っていたのに、2人の時はわかりやすく超がつくほどのスローペースで話してくれていたことがわかりました。
友人たちと話す会話は別次元。
全くついていけないし入ることもできない。みんな優しいからこそ、寂しい、悔しい、入りたい、とメラメラと闘志に火がつき、一言も聞き逃すか!というくらい全集中しました。
この単語ってこういう文脈で使うのね!と発見があれば直後にメモ。
座学は日本でもできると思いもっぱらコミュニケーション取れる場所へと赴き続けました。
(留学生の集い、パーティー、クラブなどなど。主に夜です。笑)
日本人なのに一人でこんなところに来て珍しいね、とまでは言われませんでしたが、物珍しいのかすごく話しかけられました。で、会話が続かないことに落ち込み続けました。
半年経過 さてどうなった?
文法の勉強は最低限、とにかく会話することのみに集中して過ごした半年。
同じクラスの欧米人の会話力に圧倒されていた最初からは想像ができないほど、彼らのメチャクチャで注意されても一生直らない文法間違いがわかるほどにドイツ語力はUPしました。
話せるようになると会話することがどんどん楽しくなり(伝わってる!国が違うのに会話できてる!と感動)、
メキメキ上達し、日本語を勉強するドイツ人学生と仲良くなり始めた時に、
「発音がネイティブ並み!すごい!」と褒められたことが、頑張った半年間の結果を物語っていると嬉しくなりました。
・留学生フィルターなしで現地人と会話する
・日本語英語ならぬ日本語ドイツ語にならないようにする
この辺りを目指していましたがどうやら達成できたようです。
「日本人らしくない日本人」として見てもらえるようになり、いろんな人とランチに行くようになり、週末も遊ぶようになり、コミュニティはどんどん広くなりました。
2019年にドイツで開催されたサッカーワールドカップも現地人と一緒に観戦したのは今でもいい思い出!
ドイツ留学で得た一生もののマインド
ここまでつらつらとドイツ語を習得し、留学を最大限充実したものにするために注力したことを書きました。
この時の頑張りが自分に自信を持つきっかけになったのは間違いないのですが、何よりも彼らの生きる姿勢、価値観を目の当たりにして、私のこれまでの全てを覆すほどの影響を与えてくれたことに感謝してもしきれません。
(帰国子女だらけの学部で、友達から「4年間で一番性格が変わった!」と言われたほど)
コンビニでコーヒー1つ買っただけで「ありがとうございました〜!」とニコニコスマイルで対応してくれる日本の接客とは大違い。決して無愛想なわけではないけれど、過剰に愛想を振り撒くことなく淡々と行動し人と接する彼ら。
頑張りすぎず等身大で過ごす姿に感動し(言い過ぎではない)、もちろん日本のおもてなし精神は心地がいいものだけれど、肩肘張らずに自分らしく好きなように生きればいいんだと1年ドイツで生活する中で何度も感じました。
・誰に対してもフラットで堅苦しくない(いい意味で人に興味がなく自分軸で生きている)
・人との距離感が心地よい(干渉しすぎず、けれど困ったときは助けてくれる)
・人の目や世間体を気にしない(確固たる自分を持って表現している)
これらを肌で感じることができ、受けた影響は計り知れず、
今では自分の特徴として語れるほどになっています。
他者と比較し、自分が何者かの迷子で(今でもそうだけれど当時ほどではない)、協調性ばかりを大事にする、
そんな自分はドイツでおさらばし、自分らしく生きることが楽しいと心から思える私になって帰国しました。
ドイツ人学生の自立具合などまだまだ書きたいことはあるのですが、
また次回お話ししてみたいと思います。
ご興味持ってくださった方がいればぜひお読みいただければ嬉しいです。
ここまで読んでくださったかたありがとうございました!