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詩と自分語りのエッセイ

現在最新作を作成中ですが、まだ量が少なくてあまり出来ていません。
私は出版した本の宣伝とその中の作品を掲載することを目的としてSNSを始めました。
しかし、出版と公募の方は疑問を感じるようになりました。
私の本はPOD出版という原稿さえあれば誰でも彼でも出版できるというハ-ドルの低い個人的なものだったということ、身近で現実的で具体的という私の苦手で嫌いな自分に無いものが評価され受賞しているような感じがしたことです。
書籍を有料で販売しないなら、もうSNSに固執することもないと思ったりします。昨年くらいから、売れなくては宣伝しなくてはと思わなくなりました。
「身近なことについて書いて欲しかったです。」と審査員から批評されたのは昔のことなので、長年練習していたけど苦手で嫌いで自分に無いものをやるせいなのか、いつまでたっても書けるようになりませんでした。しかし練習したので、私の詩には現実、日常、生活という言葉はよく出てきます。結局自分の得意で大好きな幻想的で抽象的なもの、四季とか元素エレメントのように切り分けたり、翠星、翠蘭、翠玉と並列したりという書きやすい書き方でやりました。そうでなければ創作はできなかったし、詩集は作れませんでした。
私が思ったのは身近で具体的で現実的で日常茶飯事、父母への情といった詩ばかり(?)が選ばれるのはなぜかということでした。そういう作風だと大衆により受け入れられるということなのか?その方が技術的、質的、人間的に優れているということなのか?
私の家族や周囲の人達は確かに身近で現実的で生活に根ざした人が多いけど、そもそも簡単なポエムすら読まない人や活字離れした人がいます。そういう作風にしたところで現代詩は言葉が難しいことに変わりないし一般に知られてないし、私の住んでいる地域は田舎なのでほとんど全く現代詩の本がありません。私は都会の大型書店で現代詩文庫や単行本を購入しました。そうしたことを是正したいから、詩を現実や日常に近づけるということなのか?
そんなわけで夢とうつつの間で葛藤しているような作風になっています。

本当は純粋な詩垢ではなく、複数の分野を扱うマルチなアカウントを希望していました。
Instagramの方では、作品の画像のみで自分の考えとか自分語りなどはほとんど全くありません。Twitter,Xの方もそうしていればエアリプがもっと少なかったのかもしれません。自他問わず中傷や不快なリプなどの多いところなので、投稿するのが怖くなり、SNS離れしていきました。
もっと政治社会的なアカウントにしたかったけど、攻撃や論争が激しくよく炎上する分野なので、非公開の別アカウントでやっていました。
音楽に関してはバンドや楽器をやってステージに立つわけでもなく、ライブに行くわけでもなく家で視聴するのみ(独身時代には多少行ったけど、田舎だし友達もいないので)だということと、過去に人間関係でトラウマがあり人前で表に出さずに隠している分野でした。
「作者の人格を知りたいとは思わない。純粋に作品を楽しみたいと思うから」という気がかりなエアリプをよく覚えています。プロフィール欄に心理学が好きですと書いているし、心理学垢をいくつもフォローしてリストを作り、私の作品を読めば心理学的な言葉がよく出て来るのに心外だと思いました。
ちなみにINFP4w5(厳密にはINTPも多い)とプロフィールに書くのもいちいち自分のことを説明しなくてもこれだけで一発で表現できる、めんどくさくないやり方だったからです。
一般的な人なら年齢性別と簡単な経歴だけでおおよそ見当がついたり、いちいち自分のことを語らなくても理解されやすいと思いますが、、私の場合は詳細に語らないと誤解だらけ間違いだらけだったり、予測がつかなかったりします。自撮りをしないのでネットの方ではそうでもないけど、外見と内面が一致してなくてギャップも大きい方なので、リアルな世界でも同様でした。そのためめんどくさくなり人と関わらなかったりします。
私のことなど別に興味ないし注目してないだろうけど、言わなければ書かなければ正確に理解してもらえないと自分語りをするところがあります。特にnoteをやっていると詩人よりエッセイストの方がいいのかなとも思うこともあります。この自分語りについてはこれまで何度も詳細なプロフィールという形でサイトとかでやろうとしていました。
最後に、私の持っているWiFiが制限付きのもので、月末になるとギガが足りなくなることが多く、それでネットでの活動を控えているところもありました。近いうちに無制限のWiFiに変える予定です。

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