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スター・山口百恵が選んだ生き方とは

伝説のスター

NHKにて『伝説のコンサート〜山口百恵 1980.10.5 日本武道館〜』が放送された。

世帯平均視聴率は8.6%、テレビをつけていた世帯の21.9%が視聴(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と高い数字をマークしたという。

1980年といえば、当時私は13歳。

〝山口百恵〟は世代的にはどちらかと言うと6つ上の姉のほうがピタリ当てはまるのだが、とにかくテレビ大好きっ子の私は、80年のアイドル黄金時代に突入する前からよく歌番組を観ていたので、山口百恵の歌もほぼほぼ歌えるのではないかと言えるぐらい知っている。

ラストコンサートを振り返りながら、アイドルからスターへ駆け上った〝山口百恵〟というひとりの女性の生き方を、ここで改めて思い返したいと思う。

山口百恵とは

1959年1月生まれ。
夫は俳優の三浦友和さん。
長男はシンガーソングライター・俳優の三浦祐太朗さん。次男は俳優の三浦貴大さんである。

1972年12月(当時13歳11ヶ月)、オーディション番組『スター誕生!』で準優勝、20社から指名を受け、1973年4月(当時14歳3ヶ月)、映画『としごろ』に出演し、5月(当時14歳4ヶ月)に同名の曲で歌手としてもデビュー。

青い性路線

しかし、デビュー曲の「としごろ」はスタッフの期待以下のセールスに止まったため、第2弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取ったらしい。

【青い果実】(一部抜粋)
あなたが望むなら 私何をされてもいいわ
いけない娘だと 噂されてもいい

この路線は当時「青い性路線」と呼ばれたらしく、続いて1974年(当時15歳)の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなったという。

【ひと夏の経験】(一部抜粋)
あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ
小さな胸の奥にしまった大切なものをあげるわ
愛する人に 捧げるため 守ってきたのよ
汚れてもいい 泣いてもいい 愛は尊いわ
誰でも一度だけ 経験するのよ
誘惑の甘い罠

歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、山口百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。

確かに「青い果実」や「ひと夏の経験」を歌っているのをテレビで観た時、誰もがその歌詞に驚き慌てふためいただろう。
とても15歳の女の子に歌わすような歌詞ではなかったのだ。
当時まだ7歳であった私は、幼すぎてよくわかっていなかったのだが、大人になってその歌詞を知った時、確かにすごい唄だったなという印象を受けたのは言うまでもない。

運命の出会い

そして後の夫となる三浦友和とはCMで初の共演を果たす。

山口百恵、当時15歳の時の話だ。

同年には文芸作品の名作『伊豆の踊子』に主演するのだが、この映画でも三浦友和と共演することとなる。

映画を観たことがおありの方なら分かると思うが、三浦友和という青年は、めちゃくちゃ男前で格好良かった。

山口百恵とは7歳違い。
15歳の少女から見た22歳の青年は、とんでもなく大人で、とても素敵に映っただろう。

その後もテレビドラマやCMで共演し、共に絶大な人気を博し、二人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれたのだ。

山口百恵と言えば三浦友和。
三浦友和と言えば山口百恵。
そんな時代だったように記憶している。

抜群の歌唱力

調べて分かったことだが、デビュー当時は決して歌が上手いとは言えなかったようだ。

しかし私の知っている〝山口百恵〟は抜群に歌の上手い歌手のひとりで、14歳でデビューしてから相当なレッスンを受けたと想像に至る。

そしてどんな曲も唄いこなす才能があった。

「乙女座宮」や「しなやかに歌って」などは明るく軽快に唄いこなし、「秋桜」や「いい日旅立ち」などはしっとりと情緒たっぷり唄いあげ、「イミテイション・ゴールド」や「絶体絶命」などのロック調の曲も見事に力強く唄い切った。

やはり山口百恵という歌手は、間違いなく素晴らしい歌唱力の持ち主であった。

衝撃の引退宣言

1979年10月20日(当時20歳)、大阪厚生年金会館のリサイタルで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、三浦友和との恋人宣言を突如発表。
その後三浦友和も記者会見で「結婚を前提にして付き合っています」と語った。

このニュースにきっと大勢の国民はこう思ったに違いない。

「そうなんだ〜!やっぱりね〜」

そして、翌1980年3月7日には三浦友和との婚約発表と同時に、なんと芸能界引退を公表。

その当時、山口百恵は21歳。
まだ21歳だった。

ふたりの行く末を誰もが温かい目で見守っていたのは確かだ。
しかし、突然の引退宣言に、ファンはもちろん、日本人の誰もが『まじか?!』となったのは言うまでもない。

それほど当時の山口百恵は、歌手としても女優としても第一線で活躍していて、今後もまだまだ期待されている存在だった。

ラストコンサート

ここからは、21歳の山口百恵がラストコンサートでファンに向けて話した内容を、途中からではあるが、一部抜粋して記述する。

青春とはなにかとよく聞かれるんです。
それは大人になって振り返った時に、あの時代が私にとって青春と呼べる時代なんだろうなって、そう思えるんだと思う。

『人は最終的にひとりだから』と呟いた方がいて、それを聞きながら思ったんです。
確かに最終的にはひとりかも知れない。
でもそれまでどんな人たちと出会い、どんな関わり方をして、どんなふうに生きてきたか、それがとても大事なんだと思う。

最後にたったひとりになった時にも、きっとそんな思い出があるのとないとでは全く寂しさが違う、そんな気がするんです。

そしてある歌(「スター誕生」AGAINのこと)の詩の意味が、身につまされるような聞こえ方がします。
【「スター誕生」AGAIN】(一部抜粋)
青春っていくつまで
胸に太陽また昇って
朝が来るたびごとに
そうよ 生れ変われるあいだ

愛するという事は?
そうね その人のため生きる
愛されるという事?
そして 自分のために生きる

この詞を山口百恵は『身につまされる』と表現した。
アイドルとして、そしてひとりの女としての色んな葛藤があったのかなと想像してしまう。

【いい日旅立ち】(一部抜粋)
あゝ日本のどこかに
私を待ってる人がいる
いい日 旅立ち 夕焼けをさがしに
母の背中で聞いた歌を道連れに…
いい日旅立ち。この歌好きなんです。
とても大きなものに向かって歌っているような気がして、とても好きなんです。

この曲はご存知の方も多いのではないかと思う。日本国有鉄道(国鉄)による旅行誘致キャンペーンソングとして制作され、1978年11月にリリースされた。
「日本の歌百選」に選ばれているほどの名曲である。

私の好きな言葉の中に『女』という一字があるんですけど、この文字なんで好きなの?と聞かれたら困るのだけど、この一文字から受ける感じが好きで。
今まで何度となく常に『女』でありたい、そう言い続けてきました。

その他に『一期一会』という言葉があるんですが、一生に一度巡り会えるかどうか分からない
それほど不思議な縁。
それを『一期一会』というそうなんですが、私はやはり人生においての出会い全てが『一期一会』だと思うんです。

たくさんの人間が生きていて呼吸していて、そんな中で言葉を交わしたり、見つめあって笑いあえる。時にはケンカしたりもする。

そんな触れ合いがもてるのは本当にごくわずか。そんな縁をこれから先もずっと大事にしていきたいし、新たに訪れる出会いにもとても期待しているんです。

『一期一会』というテーマを基に詞を書きました。
私の名前は『百』という字に『恵』、そう書いて百恵(ももえ)と読みます。
これは私が多くの幸せに恵まれるようにと、そんな気持ちでつけてくれた名前。その名前はとても好きです。

でも心は沢山の幸せを望むより、たったひとつの幸せを自分でつかみたい。
そんな気持ちで書いた詞です。
【一恵】(一部抜粋)
母にもらった名前通りの 多すぎる程の倖せは
やはりどこか寂しくて 秋から冬へ 冬から春へ
ひとつの愛を追いかけた

現(うつつ)に戻す罪の深さを
知ってか知らずかあなたへの 愛を両手に呟いた
私は女

この曲は三浦友和との結婚式の当日(引退後の1980年11月19日)にリリースされた作品だが、三浦友和との縁を大切にしていきたいという〝女・山口百恵〟の強い決意と、〝歌手・山口百恵〟としてのファンに対する申し訳ないという気持ちとの葛藤が、この詩に込められているように思う。

今の心境はいかがですか?ってよく聞かれるんだけど、今の心境といわれてもピンとこなくて。

たぶんそれはこのステージを含め、考えなければいけなかったり、やらなければならなかったりすることが沢山ありすぎて、それだけでとまどいを感じたり、まだ喜びを噛み締めたりっていうところまで自分の気持ちを持っていけてないんじゃないかなって。

自分なりに分析してみたんですけど、私の場合は結婚というものにものすごく絶対こんな風でなきゃいやだっていう理想をしっかり作って結婚する、そういうタイプの人間じゃないと。

強いて言うならば、みんな健康でそして明るくてあったかい家庭をつくりたいなと思うぐらいなんです。

私がこんなに冷静でいいのか悪いのか。
口には出しませんけど、母や友達や周りの人達のほうがよっぽどあーしなきゃこーしなきゃっていう感じで、心の中では色々と心配してくれているんだと思います。

私は今21歳のひとりの女として、嫁ぐ前の女としてふと思うのですが、自分たちが今こうやって生きてそして色んな人達と巡り合って色んな関わり方をして。

私は皆さんと会ってそして歌を唄ってきて、色んな事で悩んだり苦しんだり、泣いたり笑ったりしている。でもそれは全て私も皆さんも今生きてるからできることなんだろうなって。

何がいいんだろうって思った時、健康で生きてられるってことが一番いいんだろうなって、素晴らしいんだろうなって思うんです。

だからこんな素晴らしい出会いや、こんな素敵な人生やそれを与えてくれたのはやはりお母さん、皆さんのお母さんも私の母もとても素晴らしいんだなって。

そしてそんな素晴らしい母という女性がいたから私達は今この一瞬を過ごしていられるんだなって。

皆さん、皆さんもお母さん大事にしてください。私も大事に、これからずっと大事にしていきます。
【秋桜】(一部抜粋)
ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子供でいさせてください

この曲もまたご存知の方も多いのではないか。1977年10月1日にリリースされた楽曲で、「いい日旅立ち」同様、「日本の歌百選」に選ばれている曲である。

山口百恵本人は泣かずにこの歌を唄い切った。
観ている私は号泣。
そんな方多かったのではないだろうか。

このステージの幕を開けてから、一曲一曲を積み重ねてきました。一曲一曲の中に私なりに色々な思い出が蘇りました。

本当に8年間というとても長い時間がこの中に刻まれていたような、そんな気がします。

皆さんが一緒に歩いてくれた8年間、その中で生まれた思い出は絶対に消えることはないんです。私の中でもきっと皆さんの中でも、ずっと残ってくれると思います。

皆さん。いつかこのステージが皆さんの中で思い出と呼べるそんな時がきたら、そっと振り返ってみてください。
このほんの数時間、この中に込められた一曲一曲の歌、皆さんの思い私の思い、全て思い出してください。

思い出だけは消えることはなく、いつまでも残りそしていつまでも蘇るものだと思います。
【不死鳥伝説】(一部抜粋)
悲しまないで あなた私の肉体を失うだけだわ

Ah 大空を Ah 飛ぶ鳥ね
蘇ると約束するわ 心だけは 永遠の生きもの
like a 不死鳥 like a 不死鳥

百恵さん。
あなたが当時おっしゃっていたその言葉、現実になりましたね。

「思い出だけは消えることはなく、いつまでも残りそしていつまでも蘇るものだと思います」

40年経った今、この映像を観た全ての人が、当時を思い出し振り返ることが出来たと思います。

40年も経ったとは到底思えないほど、あなたの姿と歌声が鮮やかに蘇りましたよ。

ラストメッセージ

そしてここからが、いよいよ彼女のラストメッセージだ。

私が選んだ結論。
とてもわがままな生き方だと思いながら、押し通してしまいます。

8年間一緒に歩いてきた皆さんが、「幸せに」って…そう言ってくれる言葉が一番うれしくて…。

皆さんのことを裏切らないように、精一杯さりげなく生きていきたいと思います。

今皆さんにありがとうという言葉をどれだけ重ねても、私の気持ちには追いつけないと思います。

本当に私のわがまま許してくれてありがとう。
幸せになります。

「幸せにってそう言ってくれる言葉が一番うれしくて…」
そう言った瞬間、山口百恵は初めて声を詰まらせ涙を流した。

そして最後の曲「さよならの向う側」のイントロが始まった。

【さよならの向う側】(一部抜粋)
last song for you
last song for you
約束なしの お別れです
last song for you
last song for you
今度はいつと言えません

Thank you for your kindness
Thank you for your tenderness
Thank you for your smile
Thank you for your love
Thank you for your everything
さよならのかわりに

彼女は涙を流しながらこの歌を絶唱した。

そしてスター・山口百恵はファンに深々と一礼をした後、ステージの中央に白いマイクをそっと置き、静かに舞台裏へと歩みながら去っていった。

このラストコンサートの退場シーンは、伝説として今もなお語り継がれている。

引退後

孤独なスターの道より、ひとりの普通の女としての愛に満ちた未来を選んだ彼女。

引退時は21歳で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだった。

引退までにシングルは31作の累計で1630万枚、LPは45作の累計で434万枚を売り上げ、1970年代最もレコードを売り上げた歌手だとされている。

引退後も常にマスコミやファンからの注目を集めていたが、一貫して芸能界とは距離を置いており、原則メディア出演はしていない。

その潔さがまた、今もなお多くの人々に支持されている理由のひとつなのかも知れない。

さいごに

ラストコンサートで彼女はファンに向かって最後にこう語っている。

「精一杯さりげなく生きていきます。
わがままを許してくれてありがとう。
幸せになります」

なんの装飾もされていない武道館の舞台。
そんな中、とんでもないオーラを纏い、彼女はおよそ30曲もの歌を渾身の力を込めて唄い切った。
どの曲のどの表情の山口百恵も、全てが美しかった。

ラストコンサートは彼女のこれまでの芸能生活の軌跡そのものだ。
彼女のそれぞれの時代の想いがぎっしりつまったコンサート。

完全永久保存版だ。

今の若い世代の方に〝昭和歌謡〟のブームがきていると言われているが、歌謡曲には本当に良い歌が多いと思う。

是非とも〝スーパースター・山口百恵〟の唄も、機会があれば聴いて頂きたいと思う。




※最後まで読んでいただき有難うございます!

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