見出し画像

京都紀行〜日帰りひとりプチ旅行②

悩みに悩んだ挙句、行くことを決心した京都日帰り旅行♡

目的は「京セラ美術館」で開催されている『アンディ・ウォーホル・キョウト』。

素晴らしい美術館と、これまた素晴らしいウォーホルの作品の数々はこちらからご覧ください♪

ちょっぴり贅沢なランチを済ませ、美術館をあとに。

今回はその続きの旅日記♡

ここからは時間の許す限り、神社巡りへと参ります♪

まずはすぐ近くの「平安神宮」へ。

大鳥居まで戻り、景色を楽しみながら歩くことに。

なんて美しいお姿なんでしょう♡

そして「平安神宮・応天門」に向かう途中で、ひときわ目を引く建物を発見!

なんともレトロクラシックな素敵な建造物。

それは「京都府立図書館」でした。

入ってみたい衝動をおさえ、写真だけ撮り通り過ぎました。笑

調べてみるとこの「京都府立図書館」は、1995(平成7)年の阪神淡路大震災の被害により、2001(平成13)年にリニューアル・オープンしたらしいのですが、この地に移転した1909(明治42)年当時の姿を残しているのは、この正面の外壁のみだそう。

被害にあっただなんて知りませんでしたし、しかも外壁だけ残して修復って、そんなことができるんですね〜。

奥にチラッと見えるガラス張りの建物は増築した新館だそうです。

中もすごいみたいですよ。
気になるところですね〜。笑

今度またゆっくり訪れてみたい場所のひとつになりました♪

さて、いよいよ「平安神宮・応天門」へ。

あとから知ったのですが、この上方に掛けられている「應天門」と書かれた額。

かつて平安京の應天門に掲げられていた額は、「弘法大師」の手によるものといわれていますが、「弘法大師」は額が掲げられてから『應』の字の点を一つ書き忘れたことに気づき、筆を投げて点を書き加えた、と伝えられているんですって。

諺の「弘法も筆のあやまり」は、この言い伝えに基づくとされているそうです。

その話、聞いたことあるようなないような…。笑

でもこの平安神宮の応天門に深く関わっているとは知らなかったな〜。

あ、でも現在の応天門にかかっている額は「弘法大師」が書いたものではないそうですよ。

残念!笑

いよいよ中に入っていきます。

広いですね〜♪

平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。

当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。

その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」でした。
数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。

これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。

千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。

その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めることとなりました。
(平安神宮公式サイトより)

なんて広くて美しいんでしょう。

思えば初参り。

平日だからか、広いこともありそう思うのか、意外と空いていました。

ゆっくりお参りできるのは嬉しいですね♡

自動で流れてくる手水舎でお清めし、お参りを。

晴れて良かった〜♪笑

良いお参りができました。

お参りのあとは御朱印の拝受に。

お若い巫女さんが素敵な文字を書いてくださりました。

繊細で優しいのに、パワーを感じます。

一生の思い出になりました♪

来てよかった♡

お次は、こちらも一度お参りしたかった「岡崎神社」へ向かいます。

かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから、兎が氏神様の神使とされる、別名「うさぎ神社」。

桓武天皇、延暦13年(794年)長岡京よりの平安京遷都に際し王城鎮護の為平安京の四方に建立された社の一つで、陽のいずる都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称した。

清和天皇貞観11年(869年)勅命により社殿を造営し、播磨国広峰(現在の兵庫県姫路市北方)より祇園牛頭天王(速素盞鳴尊)等を迎え祀り悪疫の治まりを祈願した(諸社根元記)。

平家物語では東天王を官幣41所の一つに加えている。

治承2年(1178年)には、高倉天皇の中宮御産の幣帛を賜った。

皇室の御崇敬は厚く、各時代において官幣を賜り、特に後醍醐天皇は元応元年(1319年)に当社を御再建、正一位の御神階と御神宝を賜る。

室町時代享徳元年(1452年)には征夷大将軍足利義政により修造、幕府とも関係が深い。
(東天王 岡崎神社公式サイトより)

歴史ある神社。

風格がある門構えですね。

人がいっぱいでびっくりしました!

ここには「狛犬」だけでなく、「狛うさぎ」もいるんですね。

可愛い♡

ちゃんと阿形と吽形、2体で1対の「狛うさぎ」なんですね〜♪

狛犬さんとのツーショット。笑

あと撮影は控えましたが、御本殿には「招きうさぎ」が2体祀られています♪

他にも提灯にうさぎが描かれていたり、オブジェもたくさんありましたよ。

今年の干支が卯年でもあり人気の神社のようで、平安神宮よりも混んでいた印象です。

お参りを済ませ、御朱印をいただきます。

残念ながらその日は書き置きのみで、直書きはしてもらえませんでした。

3種類あった書き置きの御朱印の中で、「岡崎神社」と書かれてあるものを選択し拝受しました。

素敵〜♡

うさぎさんも愛くるしいですね♪

次におみくじを買うことに。

こちらの神社のおみくじ、めちゃくちゃ可愛いんです!

なんと〜、これまたうさぎちゃん♪

毎年干支の置き物を買っていたのですが、今年はご縁がなかったので、これは可愛い♡と迷わず授かりました。

中におみくじが入ってるんです♪

私のうさぎちゃん♡

子供たちの分も授かることにしました♪

4体揃うと可愛さ増し増し。笑

後ろはちゃんとシッポもついていて、ありがたい「東天王」の文字が。

「東天王」とは岡崎神社の別名ですね♪

うさぎちゃんは奉納して帰るのもよし、持ち帰るのもよし。

奉納されたうさぎちゃんたちが、ズラッとお行儀よく並んでいます♡

可愛すぎます♪

さて、そんな私のおみくじの結果は…

なんと『大吉』でしたぁ!

やったぁ〜♡

この愛くるしいウサギ様が、我が家の玄関でさらに福を呼んでくれることでしょう♪笑


さて、前日までにシミュレーションしていたのはここまで。笑

さぁどうしよう、まだ帰るには早い。

でも足もそろそろ…。笑

お茶する時間もお金ももったいないので、かと言ってさらに遠くに行く元気もなく、駅の方向で『神社』と検索し、とある神社へ向かうことにしました。

途中で梅の花を発見♪

早咲きの梅でしょうか。

見れてラッキー♡

さらに歩き、橋を渡ります。

この琵琶湖疏水(びわこ そすい)は、琵琶湖の湖水を西隣の京都市へ流すため、明治時代に作られた水路(疏水)だそうです。

キラキラして綺麗♡

向かう先はその名も「満足稲荷神社」。

なぜ満足なのか…笑

ただ名前につられお参りしに行くことにしたのですが…。

まさかの…し、閉まってる!

16時半ごろに到着したのだけど、調べた時は17時まで参拝可能ということだったのに、たまたま早く閉められたのでしょうか…。

当神社は豊臣秀吉公が伏見桃山城の守護神として勧請し、崇敬された神社です。

名前の由来も秀吉公が御加護を受けおおいに満足感を得たところから呼称したと伝えられています。

その後、徳川綱吉公が現在地に遷祀され、近隣がおおいに繁栄しました。

現在も氏子崇敬者の皆様に「満足さん」と呼ばれ親しまれている神社です。
(満足稲荷神社公式サイトより)

『満足』とは、そういう意味だったのですね〜。

岩神さまやご神木、それにお狐さんが12体もおられるということで楽しみにしていたのですが、仕方ありません。

外からチラッとお狐さんが一体見え、心で拝んで神社をあとにしました。

ここで私の足が限界を迎えました。笑

駅がもう目の前だったので、お名残惜しいですが帰ることに。

結局2社しかお参りできませんでしたが、朝の出発が遅かった割には上出来かと♡笑

唯一後悔したことは、京の和菓子でも買ってくればよかった〜と。

今度またリベンジですね!

図書館も行ってみたいし、次はお寺巡りもしたいと思っています♡




最後までお読みいただき有難うございました♪

ではまた。        Tomoka (❛ ∇ ❛✿)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?