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過去のわたしへの逆襲
無駄なことは、しちゃいけないと思っていた。
どこでそう覚えたかは忘れてしまったけれど、意味のないことなんてしている時間がもったいない。
価値のあることにお金や時間は使うべきだ、と教えられて生きてきた気がする。
でも価値は自分で決めていいし
みんなと同じ、普通でいる道じゃなくて、一本横道に逸れたら楽になった感覚もある。
中学生の頃、美術の授業で「学校内の好きな場所の絵を描きましょう」と言われた。
わたしは体育館のバスケットボールのゴールを描いた。
もうご存知の通りピンク色が好きなので、全ての色にほんのりピンクを足して描いた。
描きあげた体育館は全体がピンク色のグラデーションになってしまって、みんなに「体育館、ピンクではなくない?」と言われた。(悪い意味ではない)
美術の先生が厳しい先生だったから怒られるかな、と思ったけれど何も言われなかった。
デフォルメして描いていい授業ではなかったのだけど、わたしはそのピンクの体育館の絵を描けたことが満足で今でも良く覚えている。
もうひとつ、思い出した。
これも美術の授業。
自分の好きな二字熟語に、関連する絵を混ぜて描くというものがあった。
例えば『水滴』と描いたクラスメイトは、さんずいを雫にして表していた、という感じ。
わたしが悩んで決めた二字は『妖精』だった。
ピンクや水色の花を描いて、可愛いイメージにしようと思った。
初めはそんなイメージで選んだはずだったのに、漢字をじーっと見ていたら
妖しい精、なのでこれは実は、全然可愛くないのでは?と思い
全体が紫とピンクの、なんだか誰よりもおどろおどろしく妖しい雰囲気のイラストになった。
女の部分はティンカーベルのようなものの影を描いた。
わたしはどことなく、人とは違う雰囲気の絵を描くことが多く、廊下に貼られると「すぐえいかの絵ってわかる」と言われるので「よほど下手なんだな」と思っていた。
なんかみんなと違うから。
本当はお絵描きは大好きだけれど、下手だからあまり描きたくなかった。
でも別に誰も「下手だ」なんて言っていなかったかもしれない
そんなことを思い出した。
今となっては個性と思えるけれど、当時は無難で普通であることに憧れていた。
そんなわたしが大人になると、こんなことをしゃべります。
ではでは。