見出し画像

文系と理系の差はどこから生まれるのか

突然ですが私は、猫派か犬派かで言うと、断然 猫派、なんです。

でも、日本の文学作品に苦手意識があるせいで、夏目漱石の「吾輩は猫である」は未読でして。

"ネコ好きならそろそろ読まないとだめなのでは? 猫が主役の、ポール・ギャリコのジェニィは読んだんだから。" 
と思い、今朝 吾輩は猫である をKindleで買いました。

というか、著作権が切れたので、青空文庫でタダでDL出来ました。

(トラも猫科)


そこで思ったのですが、
吾輩は〜 の有名な書き出しはこうですよね。

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。」

ですが、これって数学的ではありませんか?

日本語なので、2文目以降の主語が省略されていますが、英語的に主語を繰り返し書くと
「吾輩は猫である」
「(吾輩に) 名前はまだ無い」
「(吾輩は) どこで生まれたか見当がつかない」
となり、

吾輩a = 猫 
吾輩b = 名無し
吾輩c = 生まれが不明

合算するために
Σ吾輩 =吾輩c + 吾輩b + 吾輩a として、代入すると
吾輩 = 生まれが不明で、名無しの、猫
となる。

これは文系でも理系でも、夏目漱石が読める人間は自然とやっているわけです。

どの言語であれ文章が読める、ということは、
法則規則や構成を理解した上で、
文字や記号を理解し、
論理演算などをして 文脈を切って繋げて
抜いて掛けて、
理解をしていますよね??
(言語学には詳しくないですが。)

文系でも、理系でも、現にやっていることは本質的に似ています。
何が違うんでしょう。

(本文には関係ありません。旅行行きたいですね)


普段そういう方に出会うと思うことですが、

自称 " 文系で理数弱いんです" と、何かへの予防線を張って言わはる方の中には、
「記号が出てくると駄目」というアレルギーを持った人も見かけます。

私も、∫ や行列を見るとアレルギーが出ますから、ある程度理解は出来ます。
(お里が知れますね。大した学歴ではございません。)

でもそんな理数アレルギーの人でも、
海外旅行に行ける程度には英語や韓国語を使えたりするんです。

個人的には
「他言語は大なり小なり理解できるけど、数学が苦手だ。」
というのなら、数学を別の言語として捉えて、新規のアルファベットや文法だと見なせば理解できないものかな?
という思いがあります。

標準日本語(関東弁)と、
関西弁と、
数学や強度計算が大体なんとなく、
英語ちょっぴりならわかる私は、
自分は [トライリンガル +α ] だと思っています。
数学も、立派に1言語扱いをしています。

仕事でどうしても数学や強度計算の勉強をしないといけない時は、
言語習得の一種だと思っています。
その方が何だかしっくり来るんです。


また、何かの記事で
「文系は抽象化や分類が苦手」
説も読みましたが、

外国人とのコミュニケーション中に 外国語の新しい単語や表現を覚える場合、
「この単語は大体こういう気分とセットで、あの単語と同類なんだな」みたいなアバウトな所からスタートしますよね。
(留学で勉強するイメージです。日本の英語教育は例外です。)

文系の研究でも、これはどの国のどの時代のどういう作品である  とかは分類するんですし。

となると、「文系は抽象化や分類が苦手」説も私は違うと思っています。

(間埋めに、使い所のない画像を)

無学な私から見て、1つ違いとして思うのは、

文系分野は主観的・定性的であることが比較的許されやすい、
理系分野は定量的・再現性が見られることを重視していて感情論を出すと負け。

ということでしょうか。

もちろん、0/100で白黒のどちらかに寄り切っている訳ではなく、
明るいグレーか、濃いグレーかのバランスの違いですが。


文系の学問で、1つの事に対して、
諸説入り乱れて派閥争いしている(偏見です) のなんか、
見てるとバカバカしくなりますが、
主観を振りかざしてぶちまけるから、そうもなるわな。
と思います。
(邪馬台国がどこだったか論争とか。)

対して理系だと、
理屈や数値や再現性で、
反論者を静かにボコ殴りにするので、

文・理どちらが穏やかなのかはよく分かりませんが。

理系同士でバトルすると、煽られて顔真っ赤にした方が負け。
というのは一つのルールでしょうか。

(使い所のない写真を沢山撮っています)

というわけで、普段から
「文系理系とは何ぞや」
というのを考え続けているわけですが、

まぁそんなもん、定量的には答えの無い話ですよね。
あったらどこかの塾か 大学の先生が、本か論文書いてますよ。

そして多分、
「文系理系で二極化して考えるのがそもそも間違い」説もあります。
私も実際はそう思います。

ただ、世の中の大勢が 「文系理系 」という括りで見ていて、
なおかつ 「どちらかが苦手」 と言って食わず嫌いしているのはもったいなく思います。

どちらも相通じる物があるので、
「授業で楽しくなかった」
「点数が悪かった」
→だから大枠として片方は苦手、嫌い
というのは実に勿体ない。

難しく思う原因も
"理系が点数取れないのは、自分が文系だから"
という大きい表面的な物ではなく、
もっと深い細かい引っかかりポイントがあると思うんです。
苦手に思うポイントが間違っています。

逆もしかりで。

普段から、漫画でも小説でも新聞でも読んで  活字慣れしている事が、
理数系の勉強するのにも役立ちます。
理数系も、設問や説明文は言語ですから。


前々から文理の違いをボーッと考えていましたが、
最近 後輩教育などの際に、
"数式苦手 という人が、 ピコーン とひらめいて数式へのアレルギーを克服してくれるキッカケが、どこかに転がっていないかなぁ"
と、別角度で考えるようになりまして。

後輩教育も、人に合わせてケース・バイ・ケースなので、
上手く ピコーン となるとしても、各人は別のポイントでしょうが。


というわけで、そういう話の参考や、
別の見方を与えてくれる本etc.があれば、
情報を頂ければ助かります。
ご意見や間違いの指摘も大歓迎です。

長々とすみません。

書きながら、自分の今の考えを整理していただけでした。
多分9割9分の方は、途中で挫折なさったと思います。

最後まで辿り着いていただき、ありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!