【感想】YPAM2024 ミーティング・ポイント1 12/6(金)

未来志向で考える、これからの劇場・フェスティバル

ラウンドテーブル
13:00 – 13:40

20代〜30代の舞台芸術制作者の視点から語る、劇場・フェスティバルの現在と未来。

加藤奈紬(かとうなつみ)
制作・コーディネーター/豊岡演劇祭プロデューサー
関西出身で、関西で地域と関わりながらのアート活動に関心がある方。

キャメロン瀬藤謙友(せとうけんすけ)
ドラマトゥルク/扇町ミュージアムキューブ
舞台監督から、クリエイションに関わっていく中でドラマトゥルクの役割を担うようになっていったとのこと。

まずは、働き方についてのお話。
加藤さんは、行政予算が一年単位であるという問題を指摘。自分が雇われるかわからないまま準備する雇用の不安定さがある。一方で、国交省の予算で交通面の準備を進めたりと、行政との関係の中で越境を意識するという側面もあるという。
また、その時期だけ豊岡にスタッフが集まる豊岡演劇祭において、フェスティバルを一緒に作りながら、学生に仕事を教える中で、教える側にとってもキャリア形成に生きてくるというあり方についても言及があった。

瀬藤さんからは、大阪の特殊性についてのお話があった。大阪は商人の街なので、行政がお金を出すという文化が定着しにくく、自由さがある一方で、民間でも後進を育てていかなければいけない難しさがあるとのこと。

半澤さんからは、まさに私が関心を持っている、「制作者というアイデンティティを持って働くことが増えている」というご発言が。昔は劇団の一部だったが、「制作者」というプロフェッショナルとしての働き方があることの良さが語られた。

私からそれぞれが思う「いいフェスティバル」について質問したところ、行政や国との関係の中でやりたいことを調整していく難しさが、豊岡演劇祭でも東京芸術祭でもあるとのお話があった。


地域の公共劇場とアーティストの新たな関係を探る

ラウンドテーブル
15:00 – 16:40

SPACー静岡県舞台芸術センターが設けた、地域との新たなコミュニケーションについてアーティストと考える場。SPACとの協働を望んでくれるアーティストを呼び込むような、新しい試み。

使用言語:日本語、英語
通訳:英語逐次通訳

登壇者
・成島洋子/SPAC-静岡県舞台芸術センター 芸術局長
・石神夏希/劇作家

まずはSPACについて。
・やはり大きな特徴は、劇団員を有する公共劇場であるということ。作品を作る工場としての劇場があり、「人」がいるという強みについてはこの後も何度か言及があった。
・知事の交代により、過渡期にある。

石神夏希さんは、もともと劇場の(物理的に)外で活動していたアーティスト。今は静岡に住んでいて、2025年以降のプログラムに関わっていくとのこと。
彼女の目線からは、SPACの良さについて、以下のような指摘が。
・制作・演技のプロフェッショナルが90名揃っている。
・公共事業ゆえの泥臭さ
・アングラの流れを引く集団性。

チケットを買って観に来る大人の数は、60〜70%が県内、30~40%が県外から。静岡県全体の人口から見れば多くはないが、興味のなかった人に届ける方法として中高生鑑賞事業を行っているとのこと。
興味がある人だけを相手にしているわけにはいかないのが、東京との違い。

また、地域資源の活用を求められるというところも、東京の劇場との違いではないだろうか。
SPAC秋→春のシーズン2023-2024 #1伊豆の踊子について、参加者から言及があった。

参加者からは他にも、県立のSPACと基礎自治体の文化施設との協働・連携の提案や、パフォーミングアーツの生態系の中で、SPACがどのような役割を担えるのかといった指摘も。

盛り上がったのは、SPACのアーティスト・イン・レジデンスにどのようなあり方が可能かという話題。
全ての施設ではないものの、SPACの拠点である野外芸術公園の施設には空きがあるため、活用の仕方・開き方を見つけていきたいと考えているとのこと。タイのアーティストからも外部の人とのコラボレーション、スペースのシェアリングによる地域性獲得について言及があった。

ここで「地域」と呼ばれる場所に生まれ育ち、(わずかながら)税金を払っている身としては、自分にとって「芸術」がとても大事であるという気持ちや、演劇と出会わせてくれたSPACへの深い深い愛と感謝とともに、バスがどんどん減っていって、駅から45分歩かなければ帰れない街には、芸術とばかり向き合っていられない問題があるんだよ〜という気持ちもある。
地域と自治体あっての劇場であり、地域と自治体が消滅してそこに劇場だけ残ることはありえない。アーティストにそれを求めるわけではなくて、アーティストと社会の間に立つものとしての「制作」は、行政を敵のように語るのではなくて、地域の営み全体にどうか目を向けてほしい。こう思うのはアートに携わる者として失格だろうか。


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