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【超短編小説】#01 わめき散らしラジオ

 ある日、俺が部屋でビールを飲んでいると、ドアベルが鳴った。ドアを開けると、知らない青いスーツ姿の女が立っていた。
「わめき散らしラジオから来ました」と言うなり、女は猫のように俺の脇をすり抜けると、家へ上がってきた。
「何なの? あんた、何かの勧誘?」と迷惑そうに言ったものの、まぁ別にいいかとも思った。俺は退屈していたのだ。
 女は持っていた黒い革の鞄から分厚い洋書を取り出すと、キッチンのテーブルの上に置いた。鞄はつやのある革で、あ、それいいね、そういうの、俺も欲しいんだよね、と思ったがもちろん口にはしなかった。女が勝手に冷蔵庫を開け、覗き込んでいたので、そっちを追うのに回った。女は冷蔵庫に並んでいる青い缶を指さし、「このビール飲んでもいいですか?」と聞いた。いいよと言うと、女はにこにこしながらロング缶をつまむと、ことりとテーブルに置いた。
「いい頃合いに冷えている~」
 女はちょっと両方の手のひらを合わせてから、うまそうに飲んだ。
「で、何の用なの? あんた。急に人んちに上がり込んできて」
 別に怒って言ったわけではない。
「『椰子の木を数える』という本を紹介します」
 女はテーブルの上の本を手に取って、俺に見せた。黄色っぽい表紙で、隅がぼろぼろになっていた。背の部分も折り目がいくつもついていた。
「あんたの本?」
「アパートのゴミ出しの日に見つけたんです」
「へえ」
「収集袋からこの本が突き出てて、思わず拾ってしまったんです」
「きったねぇな・・・・・・」
「あ、でも、全然汚れてなくて。ほら」
 女は本を俺の方に近づけたが、もちろん触らなかった。俺は汚いものは苦手なのだ。どっちもゴクリとビールの続きを飲んだ。
「まぁ、いいか。その、紹介ってのを始めてくれ」
 女は鞄から小ぶりなミックスナッツの缶を取り出すと、カパリと蓋を開けてナッツを口へ入れた。そんな缶入りナッツがあるんだ? しかし、うまそうに食うなぁ。ふっくらと形のいい唇が動いた。
「俺にもちょっとくれよ」
 女は缶をよこした。
「あるところに、ものすごくたくさんの椰子の木が生えている島がありました。島は王が統べていました。あるとき、王様は島を開発しようと思い立ちました」
「開発って?」
「開発は開発。現代的に開墾するの」 
「それでまず、椰子の木を伐採することにするんです。島はほとんどの部分が椰子の木に覆われていました。誰かが王に、まず椰子の木の数を数えなくてはなりません、と進言しました」
「何か、迂遠うえんなやり方だな。絶対ぽしゃるぜ、そのプロジェクト」
「でまあ、何しろ数が天文学的に多いことは予想がついたのですが、実際どうやって数えればいいか、国の役人は頭をかかえてしまいました。ところが新入りの役人で一人変わった青年がいました。その青年は何でも緻密に記録する能力に長けていて、結局彼がプロジェクトを指揮することになるの」
「へえ」
 俺はミックスナッツを口に放った。女も手を伸ばしたので、缶をそっちへ押しやった。
「青年は記録マニアでした」
「待て、またぽしゃりそうな気配がしてきた。そいつに任せてちゃだめな気がする」
 女は俺の感想には答えずに話を続けた。
「青年は、まず、野帳がいると言いました。野帳って知ってる? 野外で調べものをする時の帳面よ。表紙が堅くて、外で立ったままでも書きやすいの。それから、逆さまにしてもインクが出るペンも必要だし、作業服はサファリスーツだ! といろんなものを発注するんです」
「よくその王様が許したもんだな」
「全部合わせてもたいした金額じゃないのよ、王様にとっては」
俺は立ち上がると、冷蔵庫から新しいビールを出そうとした。腹もへったな、と思った。女はなおも喋り続けた。
「で、ようやく準備が整って、青年は調査隊を率いて椰子の原生林へ向かった。調査隊は十名で、彼らの着ていたダンヒルのベージュのスーツは、緑の林によく映えました」
 俺はそこで立ち上がった。女は本を持ったまま、俺の方を見た。
「よぉ、何か飯食いに行くぜ」
「あの、まだ話の途中だけど」
「続きは飯食いながらにしよう。あんたの話聞いてたら、何か腹減ってきた」

 外はもう夕方のラッシュが始まっていた。雨が上がった後で、空気がひんやりしていた。アスファルトが乾き始めているところと、まだ濡れているところとまだら●●●になっているのが、何だかいいなと思った。
 時間を確かめなかったが、女は午後わりに遅くに俺の部屋を訪れたのだ。あんな時間に台所のシンクによりかかってビールを飲んでいる男のドアをノックして、そのまま上がり込んで、自分もビールにありついて、あまつさえ、晩飯までおごってもらおうとしている。この女はラッキーだ。僥倖とさえ言っていい。
 俺たちは車のテールランプが続いているのを見ながら歩いた。夏の湿気を含んだ空気をかきわけているかのようだった。女も文句を言わずについてきた。
「よう、あんた名前はなんていうの?」
「実日子です」
「みかこ、ね」

俺たちは中華料理屋へ入る。
蟹を食う。
手も口もべたべたになる。
したたかに酒を飲むが、女は少しも酔ったように見えない。
飯はうまい。
なんやかんやで、俺たちは気が合うというか、少なくとも二時間くらいは一緒に過ごせている。
俺たち?
女がさっぱりしたいというので、サウナへ行くことになる。
で、そもそもの『椰子の木を数える』はどうなったんだ、という話になる。
女の住んでいるアパートが近くにあるらしい。
そっちへ河岸かしを変えようということになる。
女はあくまでも酒に強い。
女は家から歩ける圏内を活動していて、どうのこうの・・・・・・
こんなに意気投合したのは初めてとかどうのこうの・・・・・・
結局、なんかの布教なわけ? とか俺は聞いたが、違うらしい。とか、どうのこうの・・・・・・

女のアパートに着くと、外階段を4階まで上がらなくてはならなかった。
がちゃり。
女の部屋は激烈に散らかっており、堂々たる汚部屋だ。窓ごしに向かいの飲食店やパチンコ屋の明かりが彩度高く明滅していた。

「いや~、こりゃすごい」

俺は思わず声に出して言った。誰に向かって言ったのか。

・・・・・・ to be continued ・・・・・・

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