【小説】 #18 FHを〈unload〉する。
ゴーストライターのソルは、書けなくなった作家フェイ・フュー(FH)の代わりに、彼女が今だ書き得ていないこと掬い上げようとして、彼女の内面世界に没入する作業を続けている。
ある日ソルは、FHの最も深部へ没入するためには、彼女を隔離/ 避難/ 化石化/ ミイラ化/ キャンプの寝袋に包む/ 繭化・・・しなければならない、という直観を得る。
彼女はどこか、現実世界との接続が一時的にせよ切断された状態に置かれなければならない。
それはすなわち、彼女を仮死させることを意味する。
朝の光が射すなか、フェイの屋敷を訪れた。
さすがにまだ庭仕事は始まっていない。しかし、前日にもどこかしらが剪定されていたようで、屋敷の庭にはくっきりとした箒目《ははきめ》が残っていた。
僕はフェイに説明した。
「あなたを、エネルギーの供給が一時的に絶たれた状態にしてみたいのです。あなたを、ネットワークから切り離された、独立した結節にしてみたいのです。あなたを、考古学的な標本にしてみたいのです」
僕はうるさいくらいの比喩をばたばたと口にした。熱っぽく、饒舌な、面白いことを見つけて浮かれた子どものような口ぶりで。どうしてだかは、わからない。それに、フェイにどのように説明すればいいか、そもそも僕自身わかっていなかったのだ。
「それで、あなたはどこを探すの?標本になったわたしを解剖するの?わたしをミイラにして?」
僕は言った。
「フェイ、あなたはもっと休むべきです。あなたは毎朝起きるたび、身体に重い衣装を着せている。そうではありませんか?」
フェイはに驚いた表情で僕を見ると、美しい銀髪をそっと耳に掛けた。彼女のそんな様子は初めてだった。
両方の耳を露わにしたフェイは、とても若く見えた。
「あなたの言う通りかもしれない。朝目が覚めると、あぁ、そうだ、わたしは書けない作家なんだったわ、って思い出すの。その重い衣装で過ごしていたのね。一日中。次の日もまたその次の日も」
「荷物をおろしましょう・・・」
屋敷に住んだままで、世間から隔絶される。もちろん、ネットワークは切断する。
どこか山間の、作家向けの別荘にこもる。
「物理的には、わたしは仮死状態ではないわね、いずれの選択肢にしても」フェイは面白そうに笑った。
「身振りが大事なんだと思います」
「身振りとは?」
彼女はゆっくりと丁寧に僕に聞き返す。あなたのその言葉には、多くの意味が込められているのですよね、と僕を慮る口ぶりなのだ。
フェイ・ヒューの小説世界は、このようなきめ細かな思念が贅沢に溢れ出るがままに放っておかれている。たっぷりとした優雅さと、由来のわからない粗野さを行き来する特徴を持つ。彼女の書く小説には、フェイ・ヒュー本人の美質がそのまま奔流していると言っていいと思う。もっと多くの小説をこれからも書き、自らの美質を溢れ出させるべきだ。彼女が「書けない作家」で終わっていいわけはない。
「僕の曾祖母は昔よく、紙で作った人形を僕に渡して、息を吹きかけさせていました。今思えば、その人形を僕の分身として、昇華させてくれていたんでしょう。僕に悪しきことが起きないように願って」
「ただの紙のようで、ただの紙ではないというか・・・」
「ええ」
「ひいおばあ様の、その身振りは、たいそう美しかったでしょうね」
「ええ」
なんだか、僕の方が、フェイにセッションを受けているような心持になってきた。そういうことも、起きたりするんだ。
「ええ。だから、あなたがどこかへ籠る、その身振りが大事なんです」僕は言う。
あぁ、とはいうものの、これからこの僕の祖母にあたるような年齢(曾祖母とまではいかないにしても)のフェイ・フューを、どうやって助けてあげればいいだろう?
助けるというか・・・。どうにかして、さっき彼女に微かに過ったような、ふくよかな少女たる部分を、回復なり、再構築なり、何だかわからないけれど、もう一度、彼女の手の届くところへ回帰させてあげたい。
彼女が書きたいのはその〈ふくよかなる自己〉の部分なんだと、僕は何となく確信するのだ。何となく確信とは、矛盾する言い方だけれど。
僕は作家フェイ・ヒューとまだ多くのことを考え、決めなければならなかった。