小説 #14 ソルの記憶:分裂分析的地図作成法
・・・あの日、分析の先生と僕は、ライブラリの椅子にそれぞれ深く腰をおろして、くつろいでいた。いつものように、屋敷のどこかから、ヴァイオリンの音が聞こえる。
少し前に、フィンランド人の家政婦がお茶を持ってきてくれていた。その日はレモンケーキが出た。僕は白く固まったアイシングをぽきぽきと割って剥がしながら食べた。甘くておいしい。
あのフィンランド人が作る菓子はいつもおいしい。今度、そう本人へ伝えてみよう。
子どもだった僕は、恥ずかしげもなく、指についた甘いかけらを舐める。
僕は小説を書いているのです、と先生に話した。
小説ですか!先生は、大仰に眉を上げ、まるで小説にはいつもほとほと困らせられているというかのようだった。
それから先生が話し出す。
小説で「彼女は恐怖を感じた」と書いてあるのを読んでも、ピンとこない。
「彼は悪に染まっていた」と書かれていたって、どうってことはない。
「老人は憎悪を漲らせていた」と書かれていても、そらぞらしい。
先生は饒舌だ。僕はうなずいて続きを待つ。
先生は続ける。
何か言葉を読んで、とくと納得がいくためには、自分の体験が引っ張りだされてこなくてはならない。それには時間がかかるものだ。ぱたぱたと読み進めていけるものじゃない。
それから、そこに書かれていることを超えて、善なるものを感じるには、読み手のなかに善き体験がたくさんなくちゃならない。
善なるもの、希望。あぁ、それらは、どこかにはあるんだよ。
先生はそこまで一息に語ると、自分のレモンケーキに取りかかった。
レモンケーキは柳の籠に五つ盛られていた。僕は二つ目へ手を伸ばす。
あぁ、僕はまだ人にちゃんと語れるほどには希望について確信が持てずにいる。希望。それから、善きこと。
それは、うちにやって来たけど、またすぐどこかへ行ってしまうんじゃないかとやきもきさせられる、愛らしい猫のようだ。
猫・・・。僕は、愛すべき猫たちが一日の終わりにはちゃんと家に帰ってくる話を書きたい。
猫たちは迷子になったりせず、ちゃんと僕の家へ帰ってきて、おなかがいっぱいになったら、ぐっすり眠り込むのだ。
それが、僕の想像できる「善きこと」。
そこから、どんなふうに小説がunfold/開花していくというのだ?それを考えると僕の頭はキリキリと音を立てるようにして軋み始めるのだ。