見出し画像

新潮文庫最厚『魂に秩序を』は計算された〈地獄巡り〉だ。

マット・ラフの『魂に秩序を』を読み終えた。新潮文庫最厚の1088ページ。三日かかった。とりあえずの達成感は得られた。

とはいえ、こういう話で、こういうところが共感できるとか、そういう言語化がしにくい。マット・ラフが伝えたかったことが、幾重にも包まれて奥底に隠されているような、そんな感じで、読後感があいまいなままで終わっている。もちろん、僕の理解が今のところそこまでだ、というだけで、作品が不出来なわけではない・・・・・・(翌日になって、僕は新たな気づきを得るのだけど)。

本の帯にあるように、メインのキャラクター(たち)は解離性同一性障害を抱える若者だ。いくつもの分身がいるのだけど、読んでいるうちに、単にたくさんのキャラクターが出てくる話のような感じになってくる。それで僕はくらくらしてきたのだ。

原書で読むと、また全然ちがうんだと思う。自分のことは、誰が言っても"I" だから。一方で、他者のことはいやおうなしにhe/ sheで指さざるをえない。分身たちの漂わせるイメージが英語と日本語でだいぶちがうんじゃないかな・・・・・・。

この本についてのFAQにマット・ラフが応えたページがあって、そちらはとても参考になる。

・・・・・・ここまでを昨日書いて、今日になってふと気づいたのは、この小説は〈地獄巡り〉というか、〈胎内巡り〉を疑似体験させるものなのだ。読む人を一種の閉所恐怖症状態に陥れ、もがき、いやおうなしに出口を探させる。

村上春樹の『騎士団長殺し』の後半部分を思い起こさせる。

読み手をウロウロと巡らせるために、物語は意図的に迂遠な道筋を選ぶ。トイレに行く描写が妙に頻繁に差し挟まれたり、車でどの道路を選ぶか、とか酒を飲んだり、煙草を吸う場面が執拗に描写される。部屋とか車の鍵とか、嘔吐するところも頻繁に描かれる。おかげで(?)物語は深刻に神経症的に縮こまることを免れて、ユーモラスにぬけた●●●感じを漂わせるのだ。

原題は"Set this house in order"。だけど、その〈家〉はゆるく出入自由で、ひと時もじっとしていない子どものようだ。そういう"in order/ 秩序"もありか、と思える。

いいなと思ったら応援しよう!