滝口悠生の空気感。
朝からもうすでに暑いが、滝口悠生の『高架線』を読んでいる。
昨日から読み始めて、半分くらいまできたところなんだが、いい。ものすごくいい。久しぶりに揺さぶられる本を読んでいる。泣きそうにすらなっている。
ぼんやりと村上春樹っぽいな、とか、いとうせいこうっぽいな、とか思いながら読んでいる。丸谷才一っぽくもある。男連中はみんないまいち風采があがらず、女子のほうが状況を見通す力を持っている(『イエスタデイ』の栗谷えりかのように)。
そういう聡明な女子の視点を通してみると、浅はかに見えていた男たちも、深みを帯びてくる。
で、人間、そもそも深くなければならんのか? となると息苦しい。すくなくとも僕は息苦しくなる。自分が浅薄なのを知っているから。だから、『高架線』に出てくる人たちがしゃらしゃらっと浅薄であっても放っておかれるのは、ほっとする。その、放っておいてる主体は誰なんだ? と考えだすと難しいんだけども、その物語世界つうか、物語の世間だ。世間は愚かな男たちをゆるゆるっと生かしている。
あんまり、やいのやいの言うかんじじゃなくって、ふ~っと一息つける感じがする。語り口も独特な手法で、どこか子どもをあやすような、公園で犬を遊ばせてるような、そういう放任感と目配りのバランスがいい。
好書好日の滝口さんのインタビューが、彼の空気感をすごく伝えていてすきだ。
・・・・・・つうてるうちに、三分の二越えたくらいまで読んだ。
やばい! うますぎる、滝口悠生! こんなにデロデロ語る/ 騙る奴に目の前に居座られたら、しかも酒などあったりしたら、時間が止まってしまう。