『アンダー・ザ・ドーム』を読む。
スティーヴン・キングの『アンダー・ザ・ドーム』を読んでいる。キングを読むのは初めてではないんだけど、こんな作風の人だったっけ? と驚いているところです。
文芸春秋社の、デビュー50周年に合わせたキング解説本をDLしてわかったのは、キングは途方もなく多作で、傾向も様々なんですね。解説本の中では、作品群が4つのマトリクスに分けて解説してあって、「リアル」vs「幻想・怪奇」および「怖い」vs 「エモい」というパラメータになっています。『アンダー・ザ・ドーム』は「リアル」×「怖い」の領域にあるんですが、その点については、まださほどピンとこない。
そこまでを確認して、また読み始めています。章立てが短めで、サクサクと進む。あれっ? どういうこと? と訝しむ箇所がない。もちろん、謎は謎なのだが、書いてあることそのものはスムーズに流れていって、流麗といってもいいくらいだと思う。読みやすい。
で、読んでる時の感じが村上春樹的なんです。村上春樹の小説を読んでいる時に感じる感覚がある。あくまで僕の限られた、かつ偏った読書経験に照らしてではあるのですが。しかも、どこがどう、と具体的に言語化できないのですが。ずっと以前にキングの短編を読んだときには、こんな読み味ではなかったはずなのに。だから、キングの茫漠たる小説世界の一部分に、僕に村上春樹的反応をもたらすエリアがあるってことなんでしょう。
こういうことをAIに質問すると、おっしゃるとおりです、両者は類似する点がいくつか見受けられます、まず~、とかいって、僕を慰撫するようなことをしれっと返してきて、そういうのを読んでおもしろいと言えばおもしろい。けど、ふと気づく。いや、こんなことするより、先を読もう、と。で、原稿用紙3400枚超の、たっぷり読みでのある実作の方へ戻るのです。
つい、解説もんとか周辺事情を調べる癖が起動して、本そのものを読むのが遅いんです。